木原工場との合併
順風満帆のようだが、それでも幸一の心から不安は消えなかった。
木原にはブラジャーだけでなくコルセットも製造してもらいたい。要するに和江商事の主力商品のすべてだ。
だが、それがどんどん売れていくのをみたら、いつか木原は、
(よっしゃ、自分で売ったろ!)
と、直接販売に乗り出すかもしれない。そうなると和江商事はお手上げだ。
経営者の最大の仕事は危機管理である。起こった危機に対処することだけが危機管理ではない。むしろ危機が起きる前にそれを予見し、危機の発生を未然に防ぐのが一流の経営者だ。
幸一はその資質を持っていた。そして製造から販売まで一貫した組織を持つことが、危機管理上、最も有効な対処方法だという確信を持つに至るのである。
それはワコールの未来を決めた大きな決断だった。
この当時、製造と販売の間に問屋までもが介在する複雑な流通経路がわが国の伝統であった。ところが幸一は近江商人の血を大切にしながらも、従来にない独創的な発想でビジネスを展開していったのだ。
女性の下着の製造から販売までを手掛ける、日本にはまだどこにもない下着専用メーカーの道を選んだことこそ、ワコールが業界ナンバーワンになった秘密だった。
考えに考えた末、木原工場との合併を持ちかけた幸一だったが、そう簡単に事は進まなかった。
「合併するのは異存ありまへんが、昔から嫁ぐにはタンス長持ちをそろえてからと言います。和江さんとはまだ1年のつきあい。まだ柳行季一つしかそろえられてまへん。せめて、もう2、3年待っとくなはれ」
木原はそう言って婉曲に断ってきたのだ。
そんなに待っていたら、木原工場を他社に取られてしまう可能性もある。幸一は引かなかった。
「柳行季一つで結構です!」
話し合いは平行線のままであった。
考えに考えた末、幸一はここで思いきった提案をする。
「木原さん、あんたが新会社の社長になってください。僕は専務でいい」
これには木原も驚いた。
「本気かいな?」
「こんなこと冗談で言いません」
これを聞いてさすがに木原も腹を決め、ようやく合併を承諾してくれた。
さすがに、こんなに大事なことを独断で進めるわけにはいかない。社員は、社長が幸一だからついてきたのだ。そこで最終決断は役員たちに任せることにした。
中村伊一、川口郁雄、征木平吾と、この年の3月に入社した奥忠三の4人に諮ったところ、賛成と反対が2対2の同数となった。
「おまえらの気持ちはわかった。それでは最後に俺が票を入れる。俺は賛成や」
これで社長交代が決まった。
ここに和江商事は木原工場と合併。新生和江商事へと生まれ変わるのである。昭和26年(1951年)5月1日のことであった。