裏方に徹した幸一
昭和25年(1950年)10月1日。ついに青星社と対決する日の朝を迎える。
高島屋京都店1階の入ってすぐのロビーに両社の売り場が設けられた。
今で言えば宝飾品や香水・化粧品などが並んでいる場所である。いかに高級品扱いだったかがわかるだろう。実際、当時の商品は高いものだと1000円ほどもした。公務員の初任給が5000円という時代だから、現在価値にして4万円はする計算だ。
商品の扱い方も違う。今のようなワゴン販売やつり下げられているのではなく、ショーケースの中にうやうやしく並べられていた。
売り場には内田が立っている。
もともと男勝りの彼女のこと、高いハイヒールを履いて背筋をピンと伸ばし、凛としたいでたちだが、内心は違っていた。
この時の気持ちを、内田はこう語ってくれた。
「夜の水商売に入るのと同じぐらいの意気込みで行きました。その代わり、近所の人が来はったら、ちょっとショーケースの陰に隠れてた(笑)」
一方、幸一は目立たないよう背後に控えている。女性客の眼に極力触れないようにしているため、妙にこそこそした動きになるのはやむを得なかった。
販売が開始されると、2社が競争で売っているというので評判となり、大変な人だかりとなった。
内田は接客に専念し、幸一に売れた商品とお客からもらった代金を渡す。すると彼がレジへ行って包装し、おつりとともに内田に戻す。二人三脚の連係プレーが始まった。
内田は自分の商品を売りながら、横目で青星社の売り上げをチェックしていく。
(うちのほうがずっと売れてる……)
おつりを受け取るとき、そっとささやいた。
「社長、いけてまっせ!」
幸一はそれまでの緊張した表情をにわかに緩めて破顔した。
店が閉まってから当日の売り上げを計算していく。内田は予想以上の好調に思わず泣き出してしまった。
その様子を見て幸一は胸が切なくなった。
「よし、帰りにとんかつをごちそうしてやろう!」
幸一は内田を近所のとんかつ屋に連れて行くと労をねぎらった。
「今日もよくやってくれた。明日も頑張ろうな」
当時のとんかつは大ご馳走だ。いやいや販売員になったことも忘れ、内田に笑顔がこぼれた。
こうして1週間はあっという間に過ぎていく。
後に“四条河原の決戦”と呼ばれ、ワコールの伝説となるこの勝負、結果は売上高ベースで5対1。和江商事の圧勝に終わった。
向こうには、新参者の和江商事に負けるはずがないというおごりもあったのだろう。よほど運に見放されたのか、青星社の販売員が売り場でたばこを吸っているところを高島屋の幹部に見つかり、こっぴどく叱られるというおまけまで付いた。
「おたくに決まりました」
仕入部長の部屋に呼ばれてそう告げられたとき、幸一は戦地から日本に帰ってきて初めて男泣きに泣いた。
――栄冠は和江に下った。
幸一は『知己』の中で、そう誇らしく書いている。
和江商事の売り上げは1日平均1万5000円。現在の60万円ほどだ。一つの店の売り上げだということを考えれば、大健闘と言うべきだろう。