「湘南の暴れん坊」が一転、消滅の危機に
チーム再建に奔走し10年ぶりのJ1復帰へ

 その1998シーズンを境にベルマーレの歴史は暗転する。オフに呂比須やGK小島伸幸、韓国代表DF洪明甫のワールドカップ・フランス大会メンバーを含めた主力がいっせいに退団。親会社だったゼネコンの準大手、フジタが経営不振に陥ったことで、予算を大幅に削減せざるを得ない状況に直面したからだ。

 翌1999年限りでフジタが徹底。経験の乏しい若手や中堅で戦った1999シーズンは年間総合順位で最下位に沈み、J2への降格が決まる。超攻撃的なサッカーを標榜し、いつしか「湘南の暴れん坊」と呼ばれたベルマーレ平塚は、一転してチーム消滅の危機に直面する。

 そして、平塚商工会議所青年部に所属していた眞壁の下へ連絡が入る。1996年10月の第41回衆議院議員総選挙で、出身地の平塚市を含む神奈川15区から出馬して初当選。今現在は安倍政権で外相を務める自民党の河野太郎議員から、「ベルマーレに力を貸してほしい」と。

 父親が代表取締役社長を、自らは専務取締役を務める湘南造園株式会社(本社・神奈川県平塚市)がベルマーレのホーム、平塚競技場(現Shonan BMWスタジアム平塚)のグラウンドキーパーを長く拝命。芝生の保護・管理に注力してきた関係で、眞壁はサッカー界やJリーグに多くの知己を得ていた。

 そして、1999年10月に河野の要請を受けて「ベルマーレ存続検討委員会」の一員になると、親会社を持たない市民クラブ、湘南ベルマーレとしての再出発へ向けて文字通り東奔西走する。

 河野と交わした約束は2つ。翌2000年春にJ2が開幕するまでの期間限定で尽力することと、もうひとつは1円たりとも報酬を受け取らないことだった。後者は今現在も貫かれている。

 「昔はともかく、その時はもうビューンと走る車を買うことに興味はなかったし、行く時間が取れないからゴルフもダイビングもやめちゃったし、上の子どもも高校生になると週末はいないし、お金を使うことがなくなっちゃったというか。もう少し奉仕しなさい、と神様に言われているのかなと思って。だから、お金をもらうのならばやめると」

 しかし、約束していた春が訪れても、ベルマーレでの日々が終わりを告げる気配がない。当時38歳の眞壁が放つバイタリティー、豊富な人脈、何よりもベルマーレへ注ぐ深い愛情に誰もがクラブの未来を託したくなったのか。取締役、常務取締役を経て2004年4月に代表取締役社長に就任。会長に就任した河野とともに冬の時代を支え続けた。

次のページ

J2降格とJ1昇格を繰り返す

TOP