ロボット掃除機「ルンバ」を開発したアイロボット社は、自動で拭き掃除をする床拭きロボット「ブラーバ」を新たに生み出した。最新の「ブラーバ ジェット®m6」は、ボタン一つで家じゅうの床を一度に拭き掃除することができる。床のキレイさも格段にレベルアップして、家族の生活スタイルまでも進化させるのだ。
日本の居住環境の変化が、掃除道具の在り方を変えた
掃除機の歴史は意外と古い。
日本で初めて国産掃除機が発売されたのは昭和初期の1931年、ヘッド(床用ノズル)につなげた布製の集塵袋を長い柄でつり下げるアップライト型(縦型)真空掃除機だった。
「米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)の掃除機をモデルにしたもので、価格は110円。当時の小学校教員の給料2ヵ月分で、一般に普及するには至りませんでした」
生産デザイン学科プロダクト研究室
武正秀治教授/学科長
1957年生まれ。80年に日本電気(NEC)入社。NECデザインでチーフデザイナーを務めた後、93年より多摩美術大学造形表現学部デザイン学科教授。2005年より同大学デザイン学科教授。17年より現職。第1回国際デザインコンペティション・国際デザイン交流協会会長賞など受賞多数。日本インダストリアルデザイナー協会のデザインミュージアム選定員や賞の審査員、展示会監修などデザイン分野で幅広く活躍中。
そう説明するのは、家電と生活の歴史に詳しい多摩美術大学生産デザイン学科プロダクト研究室の武正秀治教授である。
本格的に普及し始めたのは、1960年代に入ってからだ。理由は、住宅団地が増えたから。
一方、当時の戸建ての家屋には、床と同じ高さになっている窓「掃き出し窓」や床の高さにある小さな「掃き出し口」があった。掃除の際にほうきで集めたごみは、そのまま外に掃き出していたのである。
当時の住宅団地は、ダイニングキッチンやベランダ、水洗トイレなどを備えた近代的な住まいとして人気だった。
「畳にカーペットを敷くことがはやり、掃除は“掃く”より“吸う”が主流になり、掃除機の普及率は一気に40%台にまで上がりました。日本の居住環境の変化が、掃除の在り方を変えたともいえます」
当時の掃除機は、円筒形のキャニスター(床移動)型と呼ばれるもので、敷居の多い日本家屋内を移動しやすいよう、後方に大きな車輪を付けた日本独自のデザインだった。
その後、掃除機には、「ごみパック式」「ごみセンサー付き」「充電式コードレス」など、ごみを吸うプラスアルファの機能が付加されていく。
平成の時代になると、クリーンな排気を実現するサイクロン方式の掃除機が登場し、気密性の高いマンションの住環境に対応するようになる。現在では、空気清浄機能付きの掃除機も登場している。ここに至り、本来2次元の「平面」をきれいにする目的の掃除機には、3次元の「空間」をきれいにする機能まで求められるようになってきたのである。
とはいえ、ここまでの掃除機は、人間の“手”の延長線上にある道具だった。掃除機という道具を用いて、体を動かして掃除という行為をする。つまり、どんな道具であろうと、自分の手足を動かしてそれを使う必要があった。
多くの家電製品が、ボタン一つの操作でその機能を発揮する中、掃除機は人が動いて使わなければならない道具であったのである。