「東京の次は大阪」
街を変えた大阪万博
関連事業費約1兆円(うち政府投資6300億円)。大阪万博は道路や鉄道網をはじめ、大阪の街全体を一挙に整備するだけのインパクトを持つ空前絶後のビッグプロジェクトだった。
三波春夫が歌ったテーマソング「世界の国からこんにちは」は、会場で初めて異国の文化や人間に触れる経験をした多くの入場者には実感を伴う内容であり、動く歩道など未来の技術も体験できた。
1940年の「幻の万博」は、東京を会場に五輪大会と共に開かれる予定だった。戦後、独立を回復した日本は、アジア初となる五輪大会を高度成長期の真っただ中の64年に開催することで、戦前に果たせなかった夢を実現した。万博についても、東京で開催という声もあったが、政治判断により大阪で行うことになった。
万博会場の吹田市と隣の豊中市には千里ニュータウンがある。62年にまちびらきした日本初の大規模ニュータウンで、その後の開発のモデルにもなった。
大阪市の動脈は、今も昔も南北を貫く地下鉄の御堂筋線である。「江坂」から先のニュータウン部分へ北大阪急行電鉄南北線(北急)が引かれ、万博終了翌日に「千里中央」(豊中市)が生まれた。百貨店の千里阪急が万博と同時に開業、駅と一体化したせんちゅうパル、2年後には商業施設の千里セルシーも揃った。
当初は2020年度内開業予定だった北急の箕面方面への延伸は用地買収の遅れなどもあって3年ほど遅れる見通しだ。
北摂で開かれた万博だが、大阪市の中心部でも同じタイミングで開発が行われている。近鉄大阪線・奈良線が「上本町(現・大阪上本町)」から、「なんば(現・大阪難波)」まで乗り入れるようになった。地下に通された難波線は万博初日に開業している。
また、地下を大阪メトロ中央線が、屋上を阪神高速道路が走っている船場センタービルも、万博に合わせて造られた。1〜10号館まで全長1㎞にも及ぶ「商人の町」大阪を象徴する建物の1つである。