詩人による対比的なアート鑑賞方法

 20世紀初頭の「未来派」と呼ばれる絵画運動に大きな影響を及ぼしたイタリアの詩人、フィリッポ・トマソ・マリネッティ(1876-1944)は、時代の先端技術の粋を集めたレーシングカーを評して「“サモトラケのニケ”より美しい」と書きました。

 実に鮮烈な対比です。競走用自動車の機械としての造形美について数百語を費やす以上の、目の覚めるようなインパクトがこの対比にはあります。

 “サモトラケのニケ”とは、1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発見された古代ギリシャの大理石像です。ニケは、翼のある若い女性の姿をした勝利の女神です。

 現在は、ルーヴル美術館に所蔵されています。頭部と二本の腕は失われていますが、造形美の極致といった存在感をもっています。

 関連で“ミロのビーナス”にもふれましょう。こちらは1820年にやはりエーゲ海のミロ島(メロス島)で発見された大理石像です。現在はこちらもルーヴル美術館に所蔵されています。

 言うまでもなく美の女神ですが、ミロ島で発見されたこの像は、頭部はありますが二本の腕が失われています。芥川賞作家で詩人の清岡卓行さん(1922-2006)は『手の変幻』(美術出版社)というエッセイの中で次のように語っています。

 「彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだ」と。

 通常なら欠けたところのない、完全無欠さこそ美しさの条件と見なすところを、逆説的なことに、「ない」ことによる夢のような美の実現に清岡さんは感動しているのです。

 もう少し一般的な言い方をすれば、“何も足さない、何も引かない完結した美学”がある一方で、“引き算の美学”があるということでしょう。

 “足し算の美学”との対比でもあります。ミロのビーナスが二本の腕を欠いたかたちで発見されたことは偶然で、制作者のあずかり知らないことがらでしょう。

 しかし私たちはここから「ないことの美」という対比的思考を見出すことができます。

 いずれにせよ、詩人の意外な言語表現もまた天啓ではなく、対比的な思考から生み出されているようです。

対比を意識すると世界の見え方が180度変わる

 ゼロからの発想ではなく、アイディアが天から降ってくるのを待つのでもなく、対比を想定すると発見できるものがあります。また何と対比するかによって、目の前にあるものの見え方が変わってきます。

 あらためて、シュールレアリスム運動に参加したロートレアモン(フランスの詩人 1846-1870)の有名な言葉が思い出されます。

 「解剖台の上の、ミシンとこうもり傘との出会い」です。

 普通なら、解剖台にそんなものは置かないという一般常識との対比があります。加えて、ミシンとこうもり傘という意外な対比があります。

 ハーバード・ビジネススクール教授として有名なクレイトン・クリステンセンは「イノベーション」を定義して「一見、関係なさそうな事柄を結びつける思考」として表現しています。一般論との対比が、経営やビジネスにおけるブレークスルーになります。

 あることをめぐって意見を求められたとき、ただちに自分の意見を出さなきゃ、とあせらず、それをめぐる一般論は何か、常識的にはどんな考えがあるか、まずそちらを設定してから、さあどんな対比をつくって自分の意見とするか模索します。

(本原稿は、『対比思考──最もシンプルで万能な頭の使い方』からの抜粋・編集したものです)