フーリハン・ローキーがオリックスから得たもの

――お二人は経営者として実際に数々のM&Aを手掛けてこられたわけですが、成功するM&Aと失敗するM&Aの差はどこから生まれると思いますか。

宮内 M&Aというのは一つ一つが全く異なる案件なので、一般論として成功のポイントは何かと言うのは難しい。一つ一つの会社や事業、それに関わっている人たちはみんな異なるわけですから、ひとくくりにはできません。

 ただ大前提として、AとBを足したら素晴らしいものが生まれると信じ、当事者同士が本当に一緒にやりたいと思っていることが大事です。投資家に言われたから一緒になりますとか、安く買いたたいた上でリストラして利益を出そうというM&Aはうまくいかないんじゃないでしょうか。

渡辺 私自身の経験から言うと、誰がハッピーになるか、その順番が非常に大事だと思います。M&Aの当事者は売り手と買い手、そして買収対象となる企業の従業員がいます。

 最初にハッピーになるのは、売り手です。会社や事業を売って対価を手にするわけですから、まず売り手がハッピーになります。成功と失敗の分かれ目は、2番目に誰がハッピーになるかということです。

「戦略的売却こそが日本を救う」、オリックス宮内氏とフーリハン・ローキー渡辺氏が語るM&Aの本質フーリハン・ローキー会長
渡辺章博
KPMGニューヨーク事務所にて日本企業の米国進出を支援するM&A業務に従事。帰国後の2004年4月、独立専業のM&A助言会社のGCAを創業。06年にM&A助言会社として初めて上場を果たし、独立系では世界トップ10の陣容に拡大。米フーリハン・ローキーとの経営統合に伴い、22年2月より現職。主著に『新版M&Aのグローバル実務[第2版]』(中央経済社、13年)がある。

 私は2004年にGCAを立ち上げて、08年に米国のサヴィアンを買収しました。このとき、売り手の次にハッピーになったのは買い手の私たちで、シリコンバレーに強固なネットワークを持っていて、テクノロジー企業のアドバイザリーに強みを持つサヴィアンと一緒になったことで、米国市場での足場を固めると同時に、ハイテク業界に強みを持つ独立系アドバイザリーファームとしての地位も確立することができました。

 ただ、この時点でサヴィアン側の従業員は一緒になったことの利点を十分に感じることができておらず、必ずしもハッピーとはいえませんでした。その反省があったので、次に欧州でM&Aを行うときには、買収される側の従業員をいかにハッピーにできるかを優先的に考えました。

 16年と20年に欧州の同業を買収しましたが、GCAと一緒になることでシナジーを発揮できて、従業員たちもハッピーにできる会社を選びました。その上で、買収後の統合プロセスで私自身が何度も欧州に足を運んで、従業員たちと対話し、一緒になることでどのようなシナジー効果があるのかを説明し、また、被買収企業の従業員たちが何を望んでいるのかに耳を傾け、必要なものを取り入れていきました。

 結果的に、GCAのアジアと米国のネットワークを活用することで、欧州の従業員たちはよりお客さまの役に立つことができるようになりましたし、欧州への経営資源の投入を増やしたこともあって業績が伸び、ハッピーになりました。その結果、買い手である私たちもハッピーになることができました。

――GCAはこのほど独立系アドバイザリーファームとして世界最大級の米フーリハン・ローキー(Houlihan Lokey)と経営統合し、社名をフーリハン・ローキー株式会社に変更しました。オリックスは06年から15年までフーリハン・ローキーを傘下に収めていましたね。

宮内 人と人の縁で実現したM&Aでした。オリックスを設立したときは私を含めて社員13人の小さな会社で、米国のU.S.リーシングという会社からリースビジネスを学びました。そのU.S.リーシングの元CEO(最高経営責任者)だった私の古い知人と、今でもフーリハン・ローキーにいる幹部が友人だった縁で、同社を紹介されました。

 フーリハン・ローキーは、事業を成長させるために資金調達力を付ける必要があり、スポンサーを探しているということでした。それで買収交渉に入って、06年にオリックスが子会社化しました。

 当時は、いわゆるブティック(専門)型のインベストメントバンク(投資銀行)で、ファイナンシャルアドバイザリー、M&Aアドバイザリー、リストラクチャリングを三つの柱にして、小さいながらも顧客の評判はとてもいい会社でした。そこにオリックスの資金力を付けたところ、非常に伸びたわけです。

 当時のフーリハン・ローキーは、会社というよりエキスパート集団といった感じで、一人一人が十人力の活躍をしていました。それでいてチームワークがものすごく良くて、オリックスが買収した後も、会社を去る人が一人もいませんでした。米国にしては珍しい会社でしたね。

 私は投資家の立場で言いたいことは言いましたし、向こうもエキスパートですから言い返してくる。結構、切った張ったのやりとりがありましたけど、お互い感情的にもつれることは一切ありませんでした。マネジメントが本当にしっかりしていたというのが、私の印象です。

 事業が急速に伸びていく中で、フーリハン・ローキーの経営陣からIPO(株式公開)を目指したいという話が出てきて、15年にニューヨーク証券取引所に上場し、オリックスは徐々に持ち株を減らして、19年に完全に売却しました。十分な投資リターンを得られたので、オリックスとしてはハッピーでしたし、IPOできたフーリハン・ローキーのメンバーもハッピーだったと思います。