瀬木 たしかに当時の世の中は、まだそういう雰囲気ではありませんでした。ただ、当時の社長がフロン全廃の旗振りをすると、当社ならではの文化で社員一丸となり、達成に向かって突き進んでいきました。

 現在もその文化は継承されているように感じます。若い世代の社員は、そうした会社の姿勢を誇りに思っていますし、「環境ビジョン2050」においても、カーボンマイナスなどを表明したことに対し、自分たちの会社は社会の課題を解決して世の中の役に立っている、と認識してくれているようです。取り組みには当然コストが必要ですが、投資家やステークホルダーへの理解のほか、社員のエンゲージメントの醸成や環境対応の活動を社内で定着させる意味においても、意義は大きいと実感しています。

顧客の環境対応までを含めた「循環型経済の牽引役」を目指す

今野 現在もサステナビリティ、中でもサーキュラーエコノミーに資する多様な取り組みを展開しておられます。その特徴や獲得目標、込められている思いなどについてご紹介ください。

瀬木 経営陣の間でいつも話しているのが、社会課題の解決で事業成長を果たすというサステナブル経営で、持続可能な社会の実現を目指すということです。たとえばカーボンマイナスは、当社がどれだけ環境面で社会に貢献できるかが問われるテーマですが、一方で「お客様の元でどれくらい環境負荷を低減できるか」ということも重視しています。これは、お客様が当社の製品を使う際に発生する環境負荷の低減にも貢献していくというミッションであり、我々製造業にとって大きな意味を持っていると考えます。

瀬木達明氏
セイコーエプソン
取締役 専務執行役員 経営戦略・管理本部長 サステナビリティ推進室長

1983年、エプソン(現セイコーエプソン)入社。BS事業管理部長、財務経理部長、経営管理本部副本部長、取締役執行役員、コンプライアンス担当役員(現任)、経営管理本部長を歴任。2019年から取締役常務執行役員、2020年には経営戦略・管理本部長(現任)、サステナビリティ推進室長(現任)。2022年4月から、取締役専務執行役員を務める。

 具体的な例を挙げると、現在普及しているレーザープリンターですが、これをインクジェットプリンターに置き換えると、消費電力を大幅に削減できます。また乾式オフィス製紙機「PaperLab」(ペーパーラボ)という製品は、オフィスで出た古紙を、水をほぼ使うことなくオンサイトで再生できるオフィス完結型のコンパクトな資源リサイクル設備で、まさにサーキュラーエコノミーそのものです。これらは、当社の製品が私どもの手を離れても環境に与える負荷を減らせるよう工夫したものと言えます。

 もう一つの例は、衣料品などの布地に染色する「捺染」にインクジェットプリンターの技術を応用するものです。従来のアナログ方式の捺染では、染色の際に水洗いが必要であり、大量の水を使うため環境に負荷をかけていました。ほかにも版やインクといった材料、それらの生産や輸送、廃棄など、捺染には大量の資源とエネルギーを必要とします。これを、デジタル捺染技術を使ってインクジェットプリンターで着色すれば、大幅に環境負荷を低減できます。

 私たちのものづくりのコンセプトに「省・小・精の技術」というものがあります。省エネルギーで小さく、高精度で精密なものをつくる技術を指しています。これは当社のルーツである時計製造に通底する思想であり、環境に配慮した技術・製品にも必須の条件だととらえています。小さければ小さいほど材料費も製造時のエネルギーも、そして廃棄コストも少なくて済むはずです。それを実現できるのが当社の強みであり、実際に当社の製品では、ほとんどがそれを実現できていると考えています。自分たちだけが再生可能エネルギー利用やCO2削減を行うのではなく、当社の製品をお使いいただくことで、お客様の環境負荷の低減までもお手伝いする。その2つが揃ってこそエプソンの環境対応と言えるのだと思います。

今野愛美 氏
アビームコンサルティング シニアマネージャー デジタルプロセスビジネスユニット FMCセクター

2006年アビームコンサルティング入社。国内外の企業や組織に対してコンプライアンス、SOX法対応、財務経理、リスクマネジメント業務の改革や、教育・意識改革プログラムの策定プロジェクトに数多く従事。現在は、企業価値向上のための取り組みの一つとして非財務情報の活用をデジタルでリードするESG経営支援、Digital ESGのサービスリーダーを務める。

今野 最初にお話しいただいた理念や思想が、顧客との関係や技術・製品、ESG経営におけるマテリアリティ(重要課題)にきちんとひも付けられている点は、大いに注目すべき点だと感じます。

 製造業のマテリアリティというと、「気候変動対応」や「CO2削減」といった個別の社会課題を挙げる例が多いのですが、貴社の場合は「循環型経済の牽引」という表現を使っています。自分たちの会社だけが可能な範囲で課題を解決して事足れりとするのではなく、事業全体やそこに関わる多様な方々、地域全体を視野に入れて新しい価値観を提案し、実現まで牽引していくという姿勢は、製造業におけるESG経営の重要な指針になるのではないでしょうか。

ESG経営のカギは、コストとオポチュニティのバランス

今野 企業がESG経営に取り組もうとする場合、ともすれば「新たなコストがかかってしまう」というネガティブな視点にとらわれがちです。エプソンの場合は、そうしたコストとビジネスの成長のバランスを非常に巧みに実現していると見ています。

瀬木 経営におけるリスクとオポチュニティという2軸で考えた場合、コストはたしかにリスクです。たとえば「環境ビジョン2050」では、2050年のカーボンマイナスと地下資源消費ゼロを謳っていると言いましたが、2030年までの10年間で、この実現に1000億円を投じる方針です。このコスト=リスクを、ESG経営に昇華するのがオポチュニティです。

今野 コストとオポチュニティの投資のバランスに関する貴社の考え方について、もう少し具体的にお聞かせいただけますか。