インド経済の強みを支える人口ボーナスと民主主義
大村:インドはいまや世界第5位の経済大国となり、近い将来、日本やドイツを抜くことも確実視されています。近藤先生は近著『インド—グローバル・サウスの超大国』で、インド経済の強みとして「民主主義下の安定した経済運営」「若い人口構成」「豊富で多様な高度人材」の3つを挙げられています。
近藤:インドが民主主義国家であることは、長期的に見て非常に大きな強みです。政変によって日本企業が撤退を余儀なくされたり、通貨が暴落したりするようなカントリーリスクが、他の南アジア諸国に比べて格段に低い。これは、外国企業が腰を据えて投資を行ううえで、何よりの安心材料となります。
特に、マンモハン・シン前首相から現在のナレンドラ・モディ首相に至るこの20年間、一貫した経済政策が維持されてきた安定感は大きいですね。モディ首相の強権的な手法、たとえばヒンドゥ至上主義的な政策がイスラム教徒との軋轢を生むといった懸念の声もありますが、選挙という国民の審判を受けるチェック機能があるため、経済政策が大きくぶれることは考えにくい。
また、優秀な官僚層の存在も見逃せません。インドの官僚制度は、イギリス統治時代の伝統を受け継いでおり、非常にエリート意識が強く、能力も高い。汚職に無縁なモディ首相の目が光っていることもあり、官僚組織のクリーンさも向上しています。さらに、インドは地方分権が徹底しており、州首相の権限が非常に大きい。たとえば、チェンナイのあるタミル・ナードゥ州や、ハイデラバードを擁するテランガーナ州のように、州政府が企業誘致に積極的で、インフラ整備や税制優遇策を競い合っています。州レベルでのダイナミズムも、インド経済の魅力の一つです。
大村:なるほど。中央政府の安定性に加え、州政府間の健全な競争が、ビジネス環境を向上させているのですね。
近藤:その通りです。2つ目の「若い人口構成」ですが、これは将来の消費市場としても、労働市場としても、計り知れないポテンシャルを秘めています。いわゆる「人口ボーナス期」、つまり生産年齢人口の割合が高く、社会保障の負担が軽い時期が、今後30年以上続くと予測されています。若者たちはデジタルネイティブで、スマートフォンやSNSを使いこなし、新しいテクノロジーへの感度も高い。eコマース市場やフィンテックが急速に拡大しているのも、この若い世代が消費を牽引しているからです。
何より、若者たちは将来に対する希望に満ちています。各種の意識調査を見ると、自国の将来を楽観視している若者の割合が最も高いのがインドで、最も低いのが日本という、実に対照的な結果がよく見られます。この国全体に満ちるポジティブなエネルギーが、経済成長の原動力になっていることは間違いありません。
ただ、課題もあります。これだけ多くの若者が毎年労働市場に参入してくる中で、彼らに見合った質の高い雇用を創出し続けられるか。特に、モディ政権が掲げる「メイク・イン・インディア」政策は、製造業の基盤強化と雇用創出を狙ったものですが、まだ道半ばです。最近では、生成AIの台頭でインドのIT企業がエンジニアを解雇するという、かつては考えられなかった事態も起きています。この雇用問題が、政権の安定を揺るがす唯一のアキレス腱かもしれません。
そして3つ目の「高度人材」ですが、これはインド最大の魅力であると同時に、日本企業にとってはマネジメントの難しさを伴います。インド工科大学やインド経営大学院といった世界トップクラスの教育機関が、毎年優秀な人材を輩出しています。彼らは非常に優秀ですが、よりよい待遇やキャリアを求めて転職を繰り返すのが当たり前の文化で育っています。日本企業が提示する報酬が、欧米企業はもちろん、近年では韓国や中国の企業にも見劣りし、優秀な人材を引き抜かれてしまうケースは後を絶ちません。よい人材を確保し、つなぎとめるには、報酬だけでなく、挑戦しがいのある仕事やキャリアパスを提示するなど、相応の戦略と準備が必要です。
インドで躍進する日本企業 その成功のカギは
大村:人材マネジメントは、まさに日本企業が直面する大きな課題です。一方で、スズキ、ダイキン工業、ヤマハなど、インドで大きな成功を収めている企業も数多く存在します。
近藤:空調大手のダイキンは、現地法人のカンワル・ジート・ジャワ社長に大幅な権限を委譲したことで、インド市場での存在感を一気に高めました。彼は最初から巨大なインド市場そのものを見据えてビジネスを展開しました。高温多湿なインドの気候や、不安定な電力供給といった現地の課題に対応した製品を開発し、独自の販売網を築き上げたのです。この徹底した「現地化」と、それを可能にする本社からの「権限委譲」が成功のカギだったといえます。
亀田製菓のジュネジャ・レカ・ラジュ会長兼CEOもインド出身です。彼のように、インドの超エリート校の出身でなくとも、日本企業への深い理解とロイヤルティを持ち、着実に成果を上げてくれる人材はたくさんいます。自分のキャリアアップだけを考えるトップエリートは、時に日本の組織文化と衝突することがありますが、会社とともに成長しようというマインドを持つ人材のほうが、結果的に日本企業では活躍しやすいのかもしれません。日本企業は、学歴や経歴の華やかさだけに目を奪われるのではなく、自社の文化との相性を見極める「目利き」の力が問われているといえるでしょう。
大村:単に現地の人材を登用するだけでなく、その人物の資質や価値観をよく理解し、任せるべきところは思い切って任せることが重要といえます。
近藤:スズキの成功はまた少し違った示唆を与えてくれます。スズキはもともと国営企業との合弁でインド事業を開始しましたが、その際にインド政府が送り込んできたのが、現在も会長を務めるR.C.バルガバ氏をはじめとする非常に優秀な官僚出身者たちでした。当時の鈴木修社長とバルガバ氏が二人三脚となり、経営者と労働者が同じ制服を着て、同じ食堂で食事をするといった、インドの常識を覆す「日本式経営」を導入したのです。これは、単に日本のやり方を押し付けたわけではありません。インドの文化や慣習を尊重しつつ、なぜこのようなやり方が必要なのかを粘り強く説き、従業員一人ひとりの納得感を得ながら進めていきました。多くの従業員を日本で研修させ、チームで成果を出す文化を浸透させたことが、マルチ・スズキをインドの国民車メーカーへと押し上げる原動力となりました。日本式経営の普遍的な強みを、見事に現地化させた好例といえるでしょう。
近藤正規 氏国際基督教大学 教養学部 上級准教授 アジア開発銀行、世界銀行にてインドを担当した後、1998年より国際基督教大学教養学部助教授。現在、同学部上級准教授。2006年よりインド経済研究所主任客員研究員を兼務。そのほかに21世紀日印賢人委員会委員、日印共同研究会委員、日印協会理事などを歴任。東京大学学士、ロンドン大学修士、スタンフォード大学博士。近著に『インド—グローバル・サウスの超大国』(中央公論新社、2023年)。専門はインド経済、開発経済学。
なぜアビームはチェンナイを重視するのか
大村:お話に出た人材のポテンシャルは、我々アビームコンサルティングが、グローバルなサービス体制を変革するうえで最も重視している点です。これまでは、日本語が堪能な人材が豊富な中国にGDC(グローバルデベロップメントセンター)を置き、1200人体制でサービスを提供してきました。日本の業務プロセスを理解し、日本語でコミュニケーションできる人材は、日本企業の海外拠点として非常に価値が高かったのです。
しかし、ここ数年の地政学的なリスクの高まりを受け、「マルチソーシング」へと舵を切りました。中国一辺倒の体制から脱却し、ベトナム、マレーシア、そしてインドを加えた4カ国体制でリソースの再構築を進めています。ただ、ベトナムやマレーシアは、生産年齢人口の規模でいえばインドとは比較になりません。IT人材のタレントプールの大きさがまったく違います。そこで、2024年から本格的にインド市場へ目線を向け、マーケットの開拓を始めています。インドの優秀な人材を活用し、日本やアメリカにサービスを提供していくことが主眼です。
近藤:インドの中でも、特に注力している地域はあるのですか。
大村:戦略的な拠点と見ているのが、南部のチェンナイです。ITエンジニアの数で言えば、「インドのシリコンバレー」と呼ばれるベンガルールや、ハイデラバードのほうが多いのは事実です。しかし、これらの都市は人材の流動性が非常に高く、優秀なエンジニアは常に好条件を求めて転職していきます。一方、チェンナイは「地元で安定した職に就きたい」と考える人が多く、他の都市に比べて離職率が格段に低いという特徴があります。
人材の定着率は我々が提供するサービスの品質に直結します。お客様の業務に精通した経験豊富な人材がチームにいることが、付加価値の高いサービスを提供するうえで不可欠だからです。ですから、まずはベンガルールなどで採用した即戦力人材にコーチ役を担ってもらいながら、中長期的にチェンナイの人材を育成していく。この両輪で、今後5年で1500人体制の構築を目指しています。
インドの優秀な人材に活躍してもらううえでは、日本側の体制も重要です。日本国内で取り組む案件は日本語で遂行されますが、インド人との協働においては言語だけでなく、仕事の進め方や考え方の壁を越えなければなりません。当社は日本側にもインド人メンバーを加えたハイブリッドチーム「Enabler Hub」をつくり、日常的に密なコミュニケーションを取ることで、インドのやり方や考え方を深く理解しながら、日本品質・アビーム品質を融和させ、協働を進めています。
大村泰久 氏アビームコンサルティング プリンシパル 2001年新卒でアビームコンサルティング入社後、日系企業のグローバル基幹システム刷新案件を中心に多業種・多地域の案件に従事。2016年から9年間、アビームコンサルティングのSAPビジネスのグローバル責任者としてアライアンス戦略を推進。2024年にインドビジネス立ち上げのリーダーに就任。40社近い在インドの日系企業の実地調査に基づき、いまインドに求められるオファリングを整備。2025年よりGCC(グローバルケイパビリティセンター)をOptimum Solutions社とインドに設立、運用を開始。
コスト削減から価値創出へ GCCの本質的な役割とは
近藤:日本企業がインド企業に業務を委託する際、コミュニケーションの壁に直面します。特にIT分野では、日本の大ざっぱな仕事の進め方と、インドの厳格な「契約社会」とのギャップが問題になりがちです。要件定義が曖昧なまま発注し、次々に追加要望を出す日本側と、契約書に書かれていないことは受け付けたくないインド側とで、トラブルになるケースを耳にします。
大村:そのギャップを埋め、さらに一歩進んだ関係を築くための新しい枠組みが、我々が提唱する「GCC」(グローバルケイパビリティセンター)です。これまで多くの日本企業にとって、インドは主にBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)の委託先でした。経理や人事、コールセンター業務などを、コスト削減を目的に外部に委託するモデルです。このモデルはあくまで指示された業務を忠実に実行することが前提であり、コミュニケーションは一方通行になりがちです。
我々の定義するGCCは、従来のBPOとは一線を画します。単に日本からの指示を忠実に実行するだけでなく、インド側から能動的に業務プロセスの改善や新しい価値創出を「逆提案」する、戦略的な機能を持つ拠点です。ここまで踏み込まなければ、インドの真の力を引き出すことはできません。
近藤:GCCはみずから考えて提案する「頭脳」の一部を担う、ということですね。コストセンターからプロフィットセンター、さらにはバリューセンターへと進化させていくイメージでしょうか。
大村:まさにその通りです。日本のある製造業の事例ですが、営業が見積もりを出して受注した後も、頻繁に価格や納期が変更され、出荷や請求に多くの人手による確認・修正作業が発生していました。結果として、出荷遅延や請求ミス、債権回収の遅れが起こり、キャッシュフローの悪化を招いていたのです。
我々のGCCでは、この一連の業務プロセスをインドで担当しながら、データの分析を通じて問題の根本原因を特定します。そして、受注後のプロセスにいっさい人手を介在させない「タッチレス・トランザクション」の実現に向け、上流にある営業の見積もりプロセスの標準化・システム化を提案します。このように、日々のオペレーションから得た知見をもとに、より根本的な業務改革、ひいては経営指標の改善につながるような提案を行う。この価値創出サイクルこそがGCCの本質的な役割だと我々は考えます。
近藤:BPOが従来のITなら、GCCは最新のAIという対比もできるかもしれません。指示されたことしかできないITと違い、AIはみずから学習し、人が気づかなかった洞察を導き出したり、新たな提案をしたりできます。GCCが付加価値を提供してくれるなら、コストが多少高くても、企業は喜んで投資するでしょう。インドには、DXや最新のテクノロジーに関する世界中の知見を持つ優秀な人材が豊富にいますから、日本人では思いもつかない素晴らしい提案が生まれる可能性は大いにありますね。
「ジュガード」精神に表れるインド人材の価値観と能力
大村:これまでの日本企業は、欧米市場に進出し、そこで欧米流のビジネスを学び、取り入れてきました。しかし、そのやり方では欧米企業と同じ土俵で戦うことになり、ゲームチェンジャーになることは難しかった。私は、これからはインドで培ったビジネスモデルを日本に逆輸入したり、他の市場へ展開したりする「リバースイノベーション」の時代が来ると確信しています。
近藤:非常に面白い視点です。
大村:インドは先進国に比べて人件費がまだ安く、新しいことに挑戦する文化があります。そして、経営人材の意思決定が驚くほど速い。この14億人の巨大市場で成功のベストプラクティスを確立できれば、他のどの市場でも通用する強力な武器になるはずです。まずインドで実績を上げる。それくらい大胆な戦略こそが、日本企業がグローバル市場で再び輝くための近道だと考えています。
近藤:マイクロソフトのサティア・ナデラ氏やグーグルのスンダー・ピチャイ氏など、アメリカの巨大企業のトップにインド人が多いのはなぜか、という議論がよくなされます。その理由の一つとして、インフラが不十分で停電や断水が日常茶飯事な環境で育った彼らには、物事が計画通りに進まないことを前提に、常に代替案を考え、臨機応変に対応する危機管理能力が身についている点が挙げられます。加えて、インドは多民族・多言語・多文化が共存する社会です。高い多様性の中で、リーダーシップを発揮する経験を子どもの頃から積んでいます。こうした優秀な人材と協働し、インドで成功モデルを築いてから世界に打って出るというのは、理にかなった戦略だと思います。
大村:危機管理能力の高さは、インド人がよく使う「ジュガード」(jugaad)という言葉にも通じますね。ヒンディ語で「ありあわせのもので何とかする」「機転を利かせた創意工夫」といった意味ですが、リソースが限られ、混沌とした状況でも、最後は知恵と工夫でやり遂げてしまう。そういう人がインドでは尊敬されます。完璧な計画を立てるよりも、まず行動し、問題が起きたらその場で解決していく。このアジャイルなアプローチは、先行き不透明な現代のビジネス環境において、非常に大きな強みになります。
日本人のように、決められた手順を遵守し、着実に業務をこなすのは、正直あまり得意ではないかもしれません。しかし、それは文化の違いであり、優劣の問題ではありません。日本人は独自の強みを発揮し、インドの仲間には「ジュガード」の力を発揮してもらう。この役割分担と相互理解を、チームの共通認識としてしっかりと伝えることができれば、両者の共創は必ずうまくいきます。
個の力を「チームの力」へ日本企業が果たすべき役割
近藤:インド人材の課題も指摘しておかなければなりません。以前、インドの官僚と話した際に、「なぜインドからは中国のアリババ、テンセントのような世界に冠たる巨大企業や、ディープシークのような最先端のAI企業が出てこないのか」と尋ねたことがあります。その官僚が言うには、「個人レベルでは中国に負けない優秀な人材は山ほどいる。しかし、チームとしてまとまり、組織的な総合力を発揮するのは苦手だ」と。アメリカの大企業のように、仕組みが確立された組織の中で個人として最高のパフォーマンスを発揮するのは得意でも、ゼロから自分たちでチームをつくり上げ、組織を大きくしていく経験に乏しいというのです。これは、インド社会の多様性の裏返しともいえるかもしれません。個性が強いがゆえに、時に組織としてのまとまりを欠いてしまう。
大村:そこは我々アビームコンサルティングが最も価値を発揮できる部分です。異なる組織に属する人材や、多様なバックグラウンドを持つ専門家たちを集めて一つのチームを編成し、共通の目的に向かって価値を共創していく。それこそが我々の真骨頂です。
インド人の卓越した個の力を、我々がハブとなって「チームの力」へと昇華させ、日本企業のグローバルな成長に貢献したい。そのために、我々自身がインドに骨を埋める覚悟で、この変革に取り組んでいます。単なる出張ベースの関わりではなく、日本人社員が現地に常駐し、インド人メンバーと膝詰めで議論を交わす。こうした地道な活動を通じて、真の信頼関係を築くことが不可欠です。
近藤:その通りだと思います。2年、3年で日本人駐在員が入れ替わるようでは、現地の人たちと真の信頼関係を構築することはできません。個の能力が高いインド人材と、チームビルディングや組織運営に長けた日本企業。両者が互いの強みを持ち寄れば、まさに鬼に金棒です。
大村:日本企業がインドの成長を取り込み、グローバル市場で成功するためには、単にインドを「使う」のではなく、インドと「共に創る」というパートナーシップが不可欠です。我々は先頭に立って、それを実証していきたいと思います。
企画・制作|ダイヤモンドクォータリー編集部
構成・まとめ|田原 寛 撮影|福岡諒嗣(GEKKO) イラスト|宇那木孝俊
アビームコンサルティング株式会社
〒104-0028 東京都中央区八重洲2-2-1 東京ミッドタウン八重洲 八重洲セントラルタワー
https://www.abeam.com/jp/ja/
