喫煙者にとって、企業的で無菌化された金属的な製品は悲しい代用品に思える。15歳の子どもにとってさえ、クレームブリュレ味の「ジュール」にどんな魅力があるのか、筆者にはどうしても理解できない。今の子どもたちは、メントール系のウインターグリーンやカプチーノといった風味のニコチンパウチ「ジン」も口に含むが、これも同様にひどいものに思える。

 娘の友人で大学を卒業したての何人かも、紙巻きたばこを吸い始めた。ある20代の若者は、新型コロナウイルス下で多くの人が喫煙し始めたようだと、筆者に語った。あれだけいろんなことが起きれば、吸わずにいられないだろう。別の若い喫煙者は、不安レベルの高さが理由の一つだと考えている。特に「私の世代がフィジェットトイ(手や指先で触って遊ぶおもちゃの総称)を好むことや、手で何かをしていたいという欲求」を考えれば、当然だという。

 複数の研究で、20代の喫煙者はかつて人気だった電子たばこを通じて、ニコチン依存症に引き込まれたことが示された。この集団は、電子たばこが流行遅れになるや、それを放り出し、紙巻きたばこに魅了された。つまり電子たばこはマールボロ・ライトやアメリカン・スピリットへの一種の入り口だった。

 つい最近まで、筆者の友人らはパーティーで何杯か飲んだ後、庭や屋上デッキに出てたばこを吸っていた。彼らはこの習慣を子どもたちに隠すのが普通だった。子どもたちは批判的になったり、心配したりするからだ。しかし、彼らのほぼ全員がたばこをやめた。この儀式から楽しさが奪われたのだ。われわれは今、死ぬべき運命を意識しすぎている。時々隠れて吸っていたある喫煙者は「今はただ愚かでそれだけの価値がないと感じる」と語った。

 もちろん、たばこに火をつけて吸うという行為全体には、どこか昔ながらの良さがあり、スマートフォンの画面やアプリとは正反対の何かがある。その時は必然的にスマホを置く必要がある。それは官能的であり、即時的であり、感情を揺さぶられる。元学生は「紙巻きたばこの儀式と、どんな状況にあっても一瞬そこを離れられるのが好きだ」と言う。「誰かの隣でたばこを吸えば、即座に親密さが生まれる。それは出会いのための良い方法だ。目的もなくたたずむことが社会的に許容される、最後に残された手段の一つだ」

 心身の健康にこだわり、ケールサラダやピラティスが全盛のこの時代に、健康よりも喜びを求める、無謀な快楽主義の人々は依然として一種の魅力を放つようだ。たばこ業界は何十年にもわたり、広告や映画、今ではソーシャルメディアにおいて、この魅力を慎重に広めようとしてきた。

 現在の紙巻きたばこは、ネットで隆盛を誇るパーティーガールの美学にうってつけだ。ビヨンセは昨年の夏にパリでのコンサートに出演した際、芝居がかった華麗さでたばこを吸っているように見えた。チャーリーxcxがイタリアで挙げた結婚式や、カイリー・ジェンナーのファッションブランド「Khy(カイ)」のパーティーでは、紙巻きたばこを載せたトレーが登場した。一方、ジェレミー・アレン・ホワイトやティモシー・シャラメといった男優がたばこをくゆらす写真もネット上に拡散している。

 多分30歳に満たない若者には、あらゆる出来事の恐ろしさが一定の役割を果たしているのだろう。彼らは幼い頃から学校で銃乱射事件に対応する訓練を受けてきた。筆者の娘の学校でも最近、銃撃犯が発砲した。もし災難がいつ何時でも起こるのなら、喫煙が何だというのか。世界が燃えているなら、ややスタイリッシュな自滅行為に走ってもいいではないか。作家ノーマン・メイラーはヒップスターに関する1957年の奇妙なエッセーで、核による人類滅亡の脅威の下で生きる「精神的大混乱」について語った。彼は暗い時代において結果を度外視することを「現在に対する崇拝」と呼んだ。

 筆者はこれらの若い喫煙者を複雑な気持ちで眺めている。自分の学生や子どもたちの友人には健康でいてほしい。だが一方で、その振る舞いや、ファッショナブルな虚無主義(ニヒリズム)、快楽主義、そして「なぜいけないのか」と開き直った態度も理解している。われわれにはもう少し現在を崇拝する姿勢があってもいいかもしれない。とはいえ、紙巻きたばこが単に一時的なものであってほしいと今でも願っている。

(The Wall Street Journal/Katie Roiphe)

※この記事はWSJにて2026年1月19日 06:37 JSTに配信されたものです。

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