甲子園の死闘後に人生が逆転した両雄
輝かしい戦績の田中と不調に喘ぐ斎藤

 日本シリーズで楽天のエースである田中将大投手が、巨人の最後のバッターを得意のフォークボールで三振に討ち取り、仙台の観衆から盛大な拍手を受けている頃、かつてのライバルであった斎藤佑樹投手は、千葉県鎌ヶ谷の日本ハム2軍練習場などで、来年に備えたトレーニングを行っていた。

 田中・斎藤両投手の対決と言えば、2006年夏の甲子園の決勝戦で、当時の早稲田実業の斎藤投手と駒大苫小牧の田中投手の投げ合いが思い出される。両者の白熱の投手戦で、決勝戦は延長15回でも決着が付かず、翌日37年ぶりの再試合となった。

 斎藤投手は最後の打者・田中から三振を奪い、接戦の末、13三振奪取で早稲田実業に初めての夏の甲子園優勝をもたらした。同大会で斎藤投手が投げた69回、投球数948は大会新記録となった。

 また、試合中にハンカチで汗をぬぐうさわやかな姿が人気を博し、“ハンカチ王子”の愛称で人々から高い支持を得た。彼が使ったハンカチが大きな話題になり、買い求められ品切れになる騒ぎもあった。

 斎藤投手は早大に進学し六大学野球でも輝かしい実績を残したあと、ドラフトを経て日本ハムに入団した。

 一方、田中投手はすぐにプロへの道を選び、楽天に入団することになった。同投手は徐々に頭角を現し、チームの中心選手になると同時に、WBCなどでも活躍。さらに、今年のシーズンで前人未到の24勝0敗1セーブというとんでもない記録を残すことになった。そして彼は、さらなる飛躍の場を米大リーグに求めて旅立とうとしているという。

 スポーツ選手に限らず、ひとかどの人物が「ライバルがいたからこそ、ここまでくることができた」とコメントするのを聞くことが多い。その言葉には、おそらく2つの意味が込められているのだろう。1つは、本当にライバルの存在が当該人物の研鑽のモチベーションになったことだ。