オープンに対応して
用途が大きく広がる
IBMメインフレームの歴史を振り返るといくつかのエポックメーキングな変化があったことがわかる。最初は1964年の東京オリンピックに合わせて始まったオンライン処理への対応だ。基盤となるソフトウエア群の開発も進み、後々の、銀行業務や、座席や客室の予約、そして企業の受発注業務などのオンライン化につながった。社会的に重要性な業務へと適用範囲が拡大していくにつれ、旺盛な開発やテスト環境への必要性も高まり、1960年代後半には仮想化技術の実用化も始まっている。
取締役 執行役員
テクニカル・リーダーシップ担当宇田茂雄氏
仮想化には大きく分けて二つのタイプがある。一つのものを複数に見せる仮想化と、複数のものを一つに見せる仮想化である。1960年代後半にIBMメインフレームで始まった仮想化は前者であり、PCサーバーの統合などでも使われるようになった考え方である。後者の仮想化は、複数のメインフレームを一つのシステムとして扱える「並列シスプレックス」で採用された。
「ちょうど1995年ごろは、メインフレームの心臓部であるCPUがCMOSという新しい技術に移行する時でした。当時まだ非力だったCPUを使って必要な能力を実現するために、複数のマシンを一体化して見せる技術によって、処理能力を容易に向上させることができるだけでなく、障害が起きてもシステムを止めなくても済むようになったのです」(宇田氏)。
そして1995年のUNIX標準の実装から現在につながるIBMメインフレームの新しい方向性を決定付けたのが、2000年のLinuxへの対応だった。Linuxというオープンソースの基本ソフトとオープンシステムのアプリケーションがそのまま動くようになったことで、大きな変化が起きた。「仮想化技術をLinuxでも使えるようにすることで、数百台のPCサーバーをメインフレーム1台に集約したり、基幹業務の処理をしながらそのデータをLinux上でリアルタイムに分析するなど、メインフレームの用途が一気に広がりました」と日本アイ・ビー・エムでセールスを担当する大島由美子氏は話す。
設計思想が実現した
進化し続ける仕組み
IBMメインフレーム進化のカギは、当初からの設計思想にある。いまや当たり前になっているCPUやメモリというハードウエアの上に基本ソフトが搭載されて、さらにアプリケーションが稼働するという汎用的なコンピュータの基本構造は、「IBM S/360」によって登場したものだ。
サーバーセールス事業部
大島由美子氏
こうした設計仕様に加えて、個々の機能をモジュール化して作り込んだことが、変化に強い“進化するメインフレーム”を誕生させた。宇田氏は「モジュールごとに機能拡張が容易にできることが進化を促しました」と話す。役割や動きを決めた基本概念(アーキテクチャー)は同じでも、個々の部品ではモジュールを入れ替えることで、高機能化が実現されてきたのだ。ソフトウエアの側面では、UNIX標準の実装やLinuxへの対応、さらにはWindowsの稼働に至るまで、ニーズの変化に対応して、オープン系システムを取り込んで一体化させてきた。
とはいえ、機能ばかり先走ってもニーズがなければ意味がない。実は、この高機能化の裏には、IBMメインフレームを取り巻くコミュニティにおける声がある。IBMでは、大別して三つの仕組みでその声を取り込んでいるという。一つは世界各地域のユーザー団体である“SHARE”における活動、二つ目はユーザー企業が直接コミュニティに改善要望をインプットできる“Request for Enhancement (RFE)”などの仕組み、三つ目は先進的ユーザーと開発エンジニアとの定期的会議体だ。こうした仕組みを通じて、必要な機能の追加、拡張へとつなげてきた。
その際も、「ユーザーのソフトウエア資産を保護する」というIBMメインフレームの基本姿勢は崩さなかった。機能は進化してもアプリケーションをそのまま使うことができる。このようなユーザーのニーズに応える姿勢や仕組みにより、トレンドだけに流されることもなく、適者として生存しエコシステムを拡大してきた。
また、エコシステムの一端を担うパートナーも育成しており、現在もIBM社員やパートナー企業を含めたコミュニティ活動が活発に行われている。「最近では、メンバーはすべて女性という『女子会z』(写真)というコミュニティも結成されて活発に意見交換が行われています」と技術コミュニティの事務局を担当する高塩愛子氏は語る。ここでも“古くて新しいメインフレーム”の進化が行われている。