結婚式の感動の仕組み化に
ビジネスチャンスを見出す

 杉元社長は、学生時代に「将来は起業する」という明確な目標を定めた。大学卒業後、オフィス家具を扱う老舗企業に就職し、さまざまな提案営業やビッグプロジェクトを経験した。その後、子会社の事業再建なども手がけて会社経営の基礎を学び、1997年、30歳のときに念願の起業を果たした。

 ウェディングビジネスに興味を持ったきっかけは、社会人になって初めて出席した東京での結婚パーティーだった。それは地元福岡で出た親戚の披露宴とは違い、オシャレで感動的なパーティーだったという。何かノウハウがあるに違いないと考えた杉元社長は、ホテルの配膳などのアルバイトをしたが、そこには特別な仕組みなど何も存在しなかった。

設立当時、米国までウェディングプランニングを学びに行った杉元社長。仕事として成立していることに驚き、また、ビジネスチャンスを確信して帰国する。

「感動は、新郎新婦の心意気や思いが具現化されることで呼び起こされていたのです。サービス業におけるホスピタリティというものは、従来、個人の資質や経験値に依存する属人的なサービスでした。ということは、結婚式に何らかの編集を加え、感動を再現する仕組みを構築できれば新しいビジネスモデルになるのではないかと考えたのです」

 モノ消費からコト消費へのシフト、ウェディングプランナーという職種の登場など時代の波にも乗ったPDPは、創業から毎年倍々ゲームで業績を伸ばしていく。

「ウェディング事業は一話完結型のビジネス。『また来年もよろしくお願いします』というわけにはいきません(笑)。そこで、ウェディング事業で培ったビジネスモデルを日常の連続性の中に横展開できないかと考え、ウェディングに加えて、ホテル、レストラン、バンケット、フラワー、コンサルティングという6分野に事業を拡大しました」

 PDPはウェディング専門企業から脱却し、フロー型ビジネスからストック型ビジネスへの転換を図っていく。杉元社長はこの時期を第二創業期と位置づけ、 PDPを「感動創出企業」と再定義するのだが、実はその陰で問題も抱えていた。