民主党政権の崩壊、安倍政権の登場後、野党はすっかり委縮してしまっていた。国民の信頼を失い、国政選挙で連敗を重ねたためだ。だが、それ以上に大きかったのは、多くの野党議員が、民主党政権の経験を通じて、政権担当の難しさを知ってしまったために、単純に「反対!」と声を上げられなくなっていたことだった。

 野党は、財政赤字の深刻さを知って、単純に「増税反対!」と言えなくなったし、社会保障費が毎年1兆円ずつ増えることを知り、「もっと増やせ!」とも主張できなくなった。特定秘密保護法など、安倍首相の「やりたい政策」についても、国際情勢悪化の「現実」を知ってしまった以上、単純な平和主義は唱えにくくなり、政府批判は迫力を欠いていた(第92回)。

 しかし、それでも93年の自民党下野以降、細川護煕政権、自社さ政権、自公政権、民主党政権を経て、共産党を除くほぼすべての政党が政権担当の経験を持ったことの意義は、決して小さくなかったのである。野党議員は潜在的には、財源を考慮した現実的な政策立案能力と、官僚とのコネクション構築による情報収集能力を持ち、質量ともに充実した国会論戦ができる力をつけていたのだ。大人しくしてはいたが、決して55年体制下の「万年野党」のままではなかった。

 今回、安倍首相の「国会審議前の対米公約」がきっかけで、野党は怒りを爆発させて「物わかりのいい野党」の衣を脱ぎ捨てた。野党は遂に目覚め、本来持つ攻撃力を発揮し始めたといえる。安倍首相の誤りは、政権担当の経験を持った野党が、昔の「万年野党」ではないということ認識せず、甘く見てしまったことではないだろうか。

安倍首相の第三の誤り:
日本政治の歴史・文化を全く理解していなかったこと

 戦後の日本政治では、国会で安定多数を持つ政権が短命に終わり(田中角栄政権、竹下登政権など)、与野党伯仲状態や連立政権を組んだ不安定な基盤しか持たない政権が長期政権を築いてきた(中曽根康弘政権、小泉純一郎政権など、第64回参照)。また、特に安全保障政策に関しては、自民党が安定多数を確保した時には前に進まず、野党(主に「中道左派政党」)が積極的に関与した時に進展してきた歴史がある。

 国会で与野党の議席数に差がある時。野党は政権の座を意識せず、安全保障問題については反対に徹し、自民党は野党の反対が大きい時に安全保障政策を無理に進展させようとはしなかった。一方、与野党伯仲状態(大平正芳政権)や、中道左派政党が連立政権に参加する時(自社さ政権、自公連立政権など)には、本来「平和主義」である中道左派政党が、より現実的な対応を模索するようになり、自民党との間に話し合いの余地が生まれ、安全保障政策が前進してきたのだ(前連載第29回)。

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憲法改正は「政治的な死」を迎える

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