「違憲」なのになぜ可決?
ついに衆院を通過した安保法案
7月16日、衆議院本会議で安保法制が可決された。
前日の平和安全特別委員会では、野党議員たちが「自民党感じ悪いよね」などと書かれたプラカードを持って委員長に詰め寄るシーンがテレビで報道された。そして、夜には数万人の人々が国会議事堂を取り囲み、深夜までデモを続けた。
多くの学者が「違憲」だと主張し、野党が採決をボイコットする中で、安保法制を「強行」に可決させたのはなぜなのか。本会議後、安倍総理はぶらさがり会見でこう述べた。
「日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。この認識の中において、日本国民の命を守り、そして戦争を未然に防ぐために絶対に必要な法案であります」
つまり、安倍総理が「違憲」と言われつつも採決したのは、「必要」と判断したから、ということだ。だとすれば、「憲法」とはいったい何なのか。憲法の理念とは、必要であれば破ってよいものなのだろうか。そもそも、この法案は本当に「必要」だったのだろうか。
もし本当に大多数の国民が反対なら、選挙を気にする政治家が「大多数」の声を無視するはずがない。なぜ安倍総理は、国会議事堂を取り囲む数万人の有権者を無視できたのか。
今回の「強行」採決劇の背景に見え隠れする、日本の民主主義の危機的状況を読み解きたい。
今回の採決に対する批判として、「強行採決」という言葉が目立つ。確かに、数の力に頼り、野党の意見をほとんど聞かず、学者から憲法違反と指摘されても意に介さない態度は、「強行」と批判されるべきかもしれない。しかし、その状況を選んだのは、実は国民ではなかったか。
筆者が知る限り、安倍晋三総理は長年自らの政治信条をはっきりと国民に示し、説明を続けてきていた。昨夏、集団的自衛権の行使を閣議決定したときにも散々マスコミが報道し、つい7ヵ月前に衆議院を解散して総選挙もやっている。その上で安定多数の議席を得て、今回の法案を可決している。