上田 今年は、「日本版金融ビッグバン」がスタートしてからちょうど10年。10年前の1998年と言えば、小渕内閣のスタート、長野オリンピック、和歌山の毒入りカレー事件など、たくさんの出来事がありました。特に経済面では、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行の破綻という「問題の年」でもありましたね。
日本版金融ビッグバンはこの年の4月1日にスタートしました。今回は、その節目として、その「中間決算」を行ないましょう。
竹中 私も小渕内閣の経済戦略会議などに参加し、ビッグバン議論に関わったので、とても印象深いトピックです。
上田 それではまず、金融ビッグバンと何か? これは、東京をニューヨークやロンドンと並ぶ「国際的な金融市場」に復権させようという試みで、本格的なスタートは98年4月の「改正外為法施行」からです。
日本版金融ビッグバンには、「原則」が3つあった。フリー(自由)、フェア(公正・透明)、そしてグローバル化(国際化)された市場という原則です。
イギリスのビッグバンがお手本
実態は目標の「大幅未達」?
上田 そのお手本とされたのが、「イギリスの金融ビッグバン」。それまでの旧大蔵省主導の「護送船団方式」を止めて規制を緩和し、金融機関の新規参入や競争を促進しようとしました。間接金融から直接金融に舵が切り直され、一方で利用者には「自己責任」が求められるようになりました。
つまり、金融の仕組みを自由化し、世界中でおカネの流れを活発にして、経済を活性化させようとしたわけです。その結果、現在では外資の参入がさかんになったり、投機マネーによる原油価格の高騰が起きたりと、良きにつけ悪しきにつけ、さまざまな影響が出ています。
竹中 少なくとも、このビッグバンの重要性を10年前の時点で指摘した意義は大きかったと思います。しかし、その頃日本の銀行は巨額の不良債権を抱えていた。前向きな取り組みは大事ですが、まず足元の整理が急務でした。
それをすっ飛ばしたため、その後少なからず混乱が生じました。そして結果的には、現時点でも当初目指していた成果を出せていません。
上田 そうなんですか?
竹中 それは、世界の「金融センター度ランキング」を見れば一目瞭然。このランキング、1位がロンドン、2位がニューヨーク、3位が香港、4位がシンガポールとなっていますが、1500兆円という莫大な金融資産を持っていながら、東京はまだ9位なんです。
「世界ビジネス都市度ランキング」の金融部門を見ても、東京は6位に留まっています。「東京を世界の金融センター」にしようという試みはよかったですが、結果はまだまだ伴っていません。