
AIの普及により多くの仕事が失われるといわれる。こうしたイノベーションによって職を失う人に対し「努力を怠ったからだ」と切り捨てる人も少なくない。こうした自己責任の考え方はいつから広がったのか。※本稿は、清水洋『イノベーションの科学 創造する人・破壊される人』(中公新書)の一部を抜粋・編集したものです。
イノベーションに伴う
2つの異なるリスク
イノベーションは、これまで責任と一緒に考えられてきたわけではありません。しかし、イノベーションの創造と破壊の側面を考える上で、責任の変化の理解は大切です。ここでは責任の変化を考える準備として、イノベーションの2つのリスクについてここでもう一度整理しましょう。イノベーションは2つの異なるリスクを伴います。
1つ目は、イノベーションを生み出す上でのリスクです。イノベーションは、経済的な価値を生み出す新しいモノゴトです。これを生み出すためには、ヒト・モノ・カネといった経営資源を投じる必要があります。しかし、新しいモノゴトですから、投資をしても、上手く行くかどうかは事前には分かりません。つまり、イノベーションを生み出そうとしても、失敗するリスクがあるのです。
2つ目は、イノベーションにより自分がこれまでに培ってきたスキルが代替されてしまうリスクです。時間やお金をかけて積み上げてきた人的資本の価値が、誰かが生み出したイノベーションにより陳腐化されてしまうかもしれないのです。
イノベーションで
職を失うのは「自己責任」か
破壊の責任は、破壊される側にあるという考え方もあります。こちらの方がより一般的でしょう。イノベーションによって代替されて仕事を失ったり、賃金が低くなってしまったりした人は、障害や病気なら仕方がないけれど、自分の能力のアップデートを怠ったのだから、その責任は本人にあるというわけです。しかも、イノベーションが社会に浸透するには時間がかかりますから、一晩で自分のスキルが陳腐化してしまうことはありません。自分のスキルを見直す時間はあったはずです。
自己責任という考え方は、1980年代から少しずつ広がってきました。この背後には、平等主義的な考え方が存在しています。もう少し正確に言えば、以下に説明する運平等主義という考え方です。