品川駅が港区にあるのは、よく知られた話だ。品川駅だけでなく、品川プリンスホテルも品川グランドコモンズも、住所は港区だ。

 代わりに、目黒駅は品川区内にある。駅にまつわるトリビアはまだある。品川駅より南にあるのに、駅名は北品川。かつての大崎地区の中心にできたのが五反田駅で、大崎駅は畑の中にあった。

 そう、品川区にも名が体を表わす駅があった。東京モノレールの大井競馬場前。ホームから厩舎が見下ろせる。

品川宿が育んだ古きよき文化
近代文明に背を向けた影響も

 品川の代名詞というと「品川宿」である。京浜急行の北品川駅から青物横丁駅にかけて延びていた東海道第一の宿場で、往時は旅籠・水茶屋が約180軒もあった。「飯盛り」と呼ばれた遊女は2000人。他にも、質屋40軒、米屋25軒などなど、1600軒の建物が軒を並べていたという。

 明治の始め、新橋・横浜間に鉄道が敷かれたとき、品川宿は「鉄道ができると客が減る」と反対したそうだ。品川駅が港区高輪にあるのはそのためだが、この時近代文明に背を向けた結果、今では一筋の商店街に面影を残すだけとなっている。

品川区――「何でもほどほど」なのに、子供の増加率だけがズバ抜けている理由