ゴールデンタイムはおろか、深夜帯でも観る機会が減ってしまい、風前の灯となっている地上波でのコント番組。なぜ今、コント番組は視聴者にウケなくなってしまったのか。これまでに、萩本欽一、ザ・ドリフターズ、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどの番組でコントを量産し続けた、放送作家の清水東氏にその理由を聞いた。前編となる本記事では、壮絶なコントづくりの舞台裏を中心に紹介する(一部、敬称略)。(コピーライター 橋本未来)※2024年6月26日初出記事の一部を再編集し公開

子ども時代にドリフと海水浴?!
いきなり欽ちゃんの番組でコント作家デビュー

 そもそも、清水東氏は“コント作家の申し子”とでも言うべき環境で育っている。テレビ黎明期のコント番組『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系列/1961~72年)や、『巨泉・前武のゲバゲバ90分!』(日本テレビ系列/1969~70年、70〜71年)などの放送作家をしていた津瀬宏氏を父に持ち、幼い頃からコントや芸能界に親しんでいた。

ビートたけし、ドリフのコント職人が「時代の終わり」を直感した2組の天才芸人とは?〈再配信〉Ken Shimura performs as ballerina during The Drifter's New Year's Performance on January 2, 1977 in Tokyo, Japan.  Photo:Sports Nippon/Getty Images

「小学生のときは、親父が自宅に置いていた『ゲバゲバ』のコント台本を学校に持っていって、友達と一緒に読んだりしていました。漫画を読むみたいな感覚で面白かったですよ。親父には、こっぴどく叱られましたけど(笑)。それと、親父に誘われて、ドリフのメンバーと海水浴に出かけたり、芸能人水泳大会などの収録に行ったりして、自然と『芸能界って、華やかな場所なんだな』って思ったことを覚えていますね」

 このように特別な子ども時代を過ごしていた清水氏は、芸能界の華やかさを感じてはいたものの、父と同じ道に進もうという気持ちはなかった。しかし、清水氏が20歳を目前にしたある日、悲しい出来事がきっかけとなり、人生が大きく変わり始める。