前回(第3回)は、世界のできる男達が家庭でどのように育ったか――「大富豪を育てる教育術」についてお話ししました。
今回は、彼らが親元を離れてから、どのような社会勉強をして成功の基盤をつくっていくかをお話ししましょう。
まず、最初にアメリカにおける社会勉強の位置づけについて考えたいと思います。
アメリカでは「白亜の塔」(アイボリータワー)という言葉があるように、一流校を出て、優秀な成績をあげるだけでは、社会的成功者として不十分と考える風潮があるようです。学校での学習と社会での学習のバランスが大切だと考えているようです。
アメリカの教育制度の特徴のひとつに、大学入学の選考条件に、内申書や共通学力テストの点数より、場合によっては推薦状やボランティア活動などの放課後の活動にウェートを置くケースがあります。さらに、この推薦状も有名な権力者による推薦状ではなく、むしろ、バイト先の上司やボランティア先の主任など、その生徒のことをよく知っている一般人によって書かれたものを重視することがよくあります。
また、MBAやCPA、CFPなどの資格では、その分野で最低2年間の就労経験がないと出願できないプログラムも存在します。
なぜ、このようなことをするのでしょうか? 学校のテスト結果による「頭の良さ」だけでなく、社会学習バランスを持つ人材に価値を見出しているからです。
社会で出逢う問題に
「絶対に正しい答え」はない
学校のテストは、主に「暗記力」を測定するものです。または、ほとんどの問題に、「正しい答え」と「まちがった答え」があります。
一方、社会での学習は、たいていの場合、1+2=2ではなく、また、「これが絶対正しい答え」や「これが絶対に通用する方程式」というものは存在しません。
むしろ、毎回、違ったパターンがあり、自分の頭を使って考えて対応していかなければなりません。日本でも「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言うように、この時期にどんどんと失敗を経験し、悩み、考え、そこから学んでいくことが、「人生の肥やし」になって、後に大きな実を結ぶのです。
英語では、「頭がいい」という言い方のひとつに「ストリート・スマート」という言葉があります。すなわち、単に一流校を出て優秀な成績を収めた学者タイプの「頭がいい人」ではなく、どちらかというと学校の勉強はあまりできない、または、好きではないが、「社会勉強を積み人生の荒波を超えていく賢さ」を持つ人のことをいいます。
大物政治家の田中角栄氏やホンダ創立者の本田宗一郎氏などは、「ストリート・スマート」な人の代表といえます。さまざまな理由で進学できず、早くから社会に出て働き社会勉強を積んだ「ストリート・スマート」な人々が、最終的に大成功を収めることが多くあります。