いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

イラッとすることを言われたとき、「言い返す」より効果的な反撃とは?Photo: Adobe Stock

銭湯で、理不尽な目に遭う

 近所の銭湯にふらりと一人で行ったとき、常連っぽいおばちゃんたちに泥を投げつけられ驚いたことがある。

 泥を投げつけるとは比喩だ。

「いやねえ、ホントに。近頃の若い子はお行儀が悪くて。家でもこうなのかしら」

「家ではこんなことしないでしょ。公共の場だからやってるのよ」

「フン。家を見てみたいもんね」

 私の方を見て聞こえよがしに言っているのがわかった。完全に私に言っていた。

 その銭湯には、私以外にも何人かは常連ではなさそうな若い人(当時)がいた。若い人たちが出て行って、桶が椅子の上に戻されていないとか、脱衣所がビショビショになっているとか、洗面所に髪の毛が落ちているとか、要するにきれいに使えていないことについて私に文句を言っているようである。

 しかし私はきちんと体を拭いてから脱衣所を歩いたし、まだ洗面所を使っていないから落ちているのは私の髪の毛ではない。

決めつける人たち

 なぜ私の仕業だと思われたのか。

 おそらく、そのころ私がロングヘアを金色に染めて目立っていたからだ。

 私は金髪ではあったが普通の会社員として真面目に働いている、ごく普通の社会人だった。しかし銭湯のおばちゃんたちは「チャラチャラして世の中のマナーを無視する不良」という偏見で見てきたのだろう。

 だいたい、そこにパラパラと落ちている髪の毛は黒いんだから私のじゃないだろう!

 しかしおばちゃんたちは見るからに強そうであった。銭湯で戦闘なんてシャレにならない。私は小さくなりながら急いで銭湯を出た。おばちゃんたちはマナー警察に生きがいを見いだしているのかもしれない。何にせよ、トラブルになりかねない。

 ストア哲学者のセネカは、公衆浴場でのトラブルを例として挙げながら「人生は甘いものではない」と言っている。

泥をぬぐう

人生で起こりうることは、公衆浴場、人混み、旅で起こりうることと同じで、ものを投げつけられることもあれば、何かにぶつかることもある。
人生は甘いものではない。
(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 生きていれば、いろいろな人とすれ違い、ぶつかることもある。歩いているだけで言いがかりをつけてくる人もいるかもしれない。いかに正しく生きようとしている人でも、イラッとするようなことを言われたり、理不尽な仕打ちを受けたりすることもあるだろう。

 だが、そのようなものだと思っておけば、いちいち腹も立たない。

よく生きることが最高の復讐である」という言葉があるが、いちいち言い返したり相手を言い負かしたりするよりも、自分が正しく生き、満ち足りた人生を送ることこそが何よりも本質的な反撃になるのだ。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)