"大動脈"トラック物流の効率化に貢献してきた
日本自動車ターミナル
日本自動車ターミナルは1965年に国や東京都、民間企業などの共同出資により特殊法人として設立された。
当時はまさに高度経済成長期の真っ只中。前年の64年には東京オリンピックが開催され、高速道路などのインフラ整備が急ピッチで進み、首都圏への人口集中も加速していた。また、モータリゼーションの進展により物流の主役が鉄道からトラックに交代しつつある時代でもあり、東京では"交通戦争"という言葉が生まれるなど、道路混雑が大きな社会問題ともなっていた。
こうした社会的課題を解決することを目的に、日本自動車ターミナル株式会社法に基づき設立されたのが同社であり、まさに効率化を求めるトラック運送業界と行政側の高い理想を背負って誕生したといえる。
同社の関谷保夫社長(当時)は「経済成長に伴って都内に流入する貨物量が年々増えており、都内に中継基地となるトラックターミナルを整備することで長距離幹線輸送と地域内輸送の効率化を図るとともに、都内の自動車交通量をコントロールすることが喫緊の課題となっていた」と会社設立に至った当時の背景を説明する。
設立時の趣意書には「物流の合理化」「道路交通の円滑化」「都市機能の向上」といった言葉が並んでいるが、これはいまも変わらず同社の経営理念として生き続けている。
設立から3年後となる68年6月、大田区平和島に最初のトラックターミナルである「京浜トラックターミナル」を開業したのを皮切りに、70年に「板橋トラックターミナル」(板橋区高島平)、77年に「足立トラックターミナル」(足立区入谷)、83年に「葛西トラックターミナル」(江戸川区臨海町)が開業し、23区を取り囲むように都内4方向にトラックターミナルの整備が完成した。
トラックターミナルの基本機能とは、全国各地からやってくる大型幹線トラックに積み込まれた荷物をバースと呼ばれる荷扱場に降ろし、方面別に仕分けた荷物を小型集配トラックに積み替えて都内各地の納品先に配達する。
また、これとは逆の流れで、都内で集荷された荷物を荷扱場で方面別に仕分け、大型トラックで全国各地に向けて輸送する――というもので、いわば物流の"ハブ""中継機能"としての役割を担っている。
現在、同社が運営する4カ所のターミナルで取り扱う貨物量は1日当たり約1万8000トン。10トンラックに換算して1800台もの貨物が日々、ターミナル内を行き来している。
関谷保夫社長(当時)
会社設立20年目となる85年には、特殊法人改革の一環から国が出資を引き上げ、特殊法人から民間会社に位置付けが変わったが、「引き続き東京都が筆頭株主であり、民営化されたとはいえ、高い公共的使命を帯びている立場にいまも変わりはない」(関谷氏)という。
その高い公共性を示す事例のひとつが、災害対応だ。
同社の4ターミナルは、国や東京都から災害発生時に支援物資輸送の拠点としての指定を受けており、まさにライフラインを支える重要な責務を担っている。また、発災時におけるテナント事業者の事業継続を支援する面からも、ハード・ソフト両面にわたるBCP(事業継続計画)は重要。
このため、同社では東日本大震災の発生後、4ターミナルすべてに72時間の事業継続を可能にする非常用発電設備を完備したほか、一部施設に免震構造を採用し、「災害に強いトラックターミナル」を標榜している。
さらに、CO2排出量の削減など環境面でも、施設の屋根部に太陽光発電パネルを設置することで環境負荷低減に貢献しており、公共トラックターミナルとしての公的使命を果たしてきた。