近年産業界で注目を集めている「3Dプリンター」は、デジタルデータを元に立体(3次元)オブジェクトを造形する機器。鋳型を作って造形材を充填・固形化する従来の主要な製造技法を革新し、デジタルトランスフォーメーションのカギとなるものづくり技術として、さらなる進化が期待されている。同技術を応用し、「コ・メディカル」分野や「建築リノベーション」分野での革新的研究に取り組む慶應義塾大学SFC研究所長の田中浩也教授が、3Dプリンター技術の進展が開くビジネスの未来について語った。
“流通技術”へと変貌を遂げる3Dプリンター
東京大学大学院工学系研究科博士後期課程修了。工学博士。京都大学情報学研究科COE研究員、東京大学生産技術研究所助手、慶應義塾大学環境情報学部准教授、マサチューセッツ工科大学(MIT)建築学科客員研究員などを歴任。2010年度に日本人で初めてMITの名物講座「How to make almost anything(ほぼあらゆるものを作る方法)」を修了した後、2012年に慶應義塾大学SFC研究所ソーシャル・ファブリケーション・ラボを設立する。専門分野は3Dデジタル設計、3Dプリンターによるデジタル生産、創造性の科学と支援、デザインとコンピューティングなど。著書に『SFを実現する 3Dプリンタの想像力』(講談社現代新書)など。
3Dプリンターは1980年代から存在していた技術です。当初は大企業が新しい製品を作る際の試作品製作に使われていたため、「RP (ラピッド・プロトタイピング)」と呼ばれていました。2005年ごろから特許が切れてオープンソースになり、「3Dプリンター」という馴染みやすい名称とともに、安価な機種が爆発的に世の中に普及しました。また、ハイエンドな機種は、正式な名称としてAdditive Manufacturing(積層造形/付加製造)と呼ばれるようになりました。
ファブラボ、学校教育の場、図書館、カフェなど、一般の人々の目に留まるようになったのは2010年代になってからです。これによって裾野がものすごく広がり、それまでの産業的な文脈以外での、多種多様な新しい利活用が開拓されてきました。同時に、産業界の側は、試作品ではなく最終製品を作る技術にレベルアップさせようという研究開発が始まりました。3Dプリンター大手のStratasys(ストラタシス)は、このコンセプトを「DDM (ダイレクト・デジタル・マニュファクチャリング)」と呼んでいます。私たちの研究所も、ここ2、3年は実用品レベルのプリント技術開発を加速度的に進めてきました。
そして次のフェーズは「流通技術」としての3Dプリンターが展開すると考えています。私自身、これこそが革新の本質だと考え、自著などを通じて何年も前から提唱してきました。21世紀の前半をかけて、ものを段ボールに入れて飛行機や船で運ぶ「輸送(トランスポーテーション)」は徐々に衰退し、デジタルデータを最終的な製品の使用地や近くにある3Dプリンターに送り、そこで直接生産して使用者にすぐ渡すという「データ転送(テレポーテーション)」の仕組みが普及するでしょう。3Dプリンターは、ものを「作る場」に置かれるだけでなく、ものが「使われる場所」に置かれるようになっていくはずです。つまり「テレビ」のような、受信機としての使われ方がはじまるはずです。
3Dプリンターは広い意味で「デジタルファブリケーション」技術の一つですが、その特殊性は、他の「デジタルファブリケーション」機械に比べて圧倒的に静かで製作に伴うごみが少ないことです。そのため小売店や病院など、本来ものを作るためにデザインされていない場所にも設置することができます。
そしてデジタルデータさえあらかじめ用意されていれば、後はいつでも必要なときに必要な数量だけ、そのものを「刷って」作ることができます。従来の「大量生産」と違って、データやプログラムのカスタマイズによって、毎回製品を使用者のニーズに合わせるパーソナライズが容易であることも特徴です。
これまで音楽や書籍など多くのコンテンツがデジタルデータになってきて、いまは貨幣までデジタル化されるところまで来ていますが、それでも服や靴など「物質」として絶対に必要なものがなくなることはありません。しかし、そうした「もの」をデジタルデータ化して保存しておき、必要な人の近くで印刷して届けることは可能です。近所のATMでクレジットカードから現金を引き出すのと同じことだ、といえばイメージが湧きやすいでしょうか。これによって、製造や流通が劇的に効率化・最適化された社会が誕生するでしょう。実際、オランダの大手金融機関INGは2060年までに、世界貿易の4分の1が3Dプリンターを使った「データ送信・現地生産」のシステムに置き換わる可能性があるという予測を発表しています。