産業の縦割り発想では
ビジネスを見誤る

 3Dプリンターは、「ものづくり」の新技術のようですが、従来日本が得意としてきたタイプの「ものづくり」とは全く違う位相に存在していることを理解する必要があります。

 情報化時代における「デジタルファブリケーション」を氷山で例えると、海上に出ているてっぺんの触れる部分が「もの」、つまり実際の製品です。しかし氷山は海中に沈んでいる部分の方が体積は大きい。それは昔ならば職人の暗黙知や経験、ノウハウなど人間に依存する部分でしたが、これからはこの領域がデジタルなビッグデータに置き換わっていきます。

 そして、とにかくデータがあれば「もの」が印刷されてくるという「情報と物質の変換技術」が3Dプリンターです。だから3Dプリンターを「ものづくりの復権(あるいは延命)」と解釈して、昔流の「ものづくり」にばかり固執し、変化を受け入れないまま拒んでいると、デジタルデータをより重視している海外企業に、変革の"果実"を根こそぎ持っていかれてしまうでしょう。

 暗黙知や経験に関しては、一人の職人の知識を大切にする世界とは対照的に、たくさんのユーザーからデジタルデータがインターネット上の集合知として蓄積されていることを感じる必要もあります。データが増えれば増えるほど集合知としての価値が高まるのがプラットフォームであり、その仕組みを作った人は大きな利益を得ます。この点を理解できないと、これからのビジネスの方向性や国益を見誤ってしまいます。

 こうしたことから、「3Dプリンター」という分野において、「優れた性能の装置を作る」という指向性は典型的な日本企業の発想です。それが達成された後の世界を想定して、流通のプラットフォームを先んじてビジネス特許で押さえておこうというのがAmazonの発想です。ここは大きな違いがあります。

 コンピューターの歴史と同じで、日本のメーカーが一生懸命優れたハードウエアを開発していたときに、インターネット上ではGoogleやFacebookがプラットフォームを押さえていました。ハードにこだわり過ぎる日本人がまた同じ轍を踏まないために必要なことは、製造業、サービス業、流通業などという産業の縦割り概念を捨て去ることです。デジタルトランスフォーメーションの波によって、全ての産業がシームレスにつながっていくことをまず前提にしなければいけません。そして、ソフトウエアやサービスデザインの領域が、全体を再度つなぎあわせる「接着剤」としてますます重要になるのではないかと考えています。