会計士のスキルを生かし52歳までに10社を経験
失敗したケースから学んだワークライフバランス
広瀬徹さん(仮名・52歳)
新卒で大手生命保険会社に入社。その後、数々の転職経験を経て、現在は大手量販店にて経営管理に携わる。
広瀬徹さんは転職経験が多く、これまで10社を渡り歩いてきた。まず、バブル全盛期の1989年に、新卒で大手の生命保険会社に入社する。3年ほど働くも、バブルが崩壊。会社の将来に危機感を覚えた広瀬さんは、組織に頼らずに済む専門性を身に付けるため、会社を辞めて公認会計士を目指す。
約2年半で公認会計士の試験にパスし、大手の監査法人へ。その後は引き抜きで、古巣とは別の保険会社に転職している。さらにその次も、引き抜かれる形でSIer(システムインテグレーター)に転職。それから4年ほど経った頃、広瀬さんは外資系の金融サービス事業者から破格の待遇での引き抜きを打診され、4度目の転職を決意する。しかし「結果としてこの転職は失敗だった」と広瀬さん。
「月収100万円に成功報酬が上乗せされ、年収は軽く2,000万円を超えるということで、入社しました。ところが、入ってみると全く休みはなく、深夜2時、3時までの残業は当たり前。朝は9時出勤です。初めての外資系企業で、当たりのきつい上司との反りも合いませんでした」
激務に加えて、離婚が重なったのもこの時期。疲弊しきった広瀬さんは、「年収が半分以下になってもいいから、ワークライフバランスを重視して働こう」と心に決める。
その後は、元々在籍していたSIerに出戻り、官公庁の任期付き業務を経て、また別のSIerに。この間、ワークライフバランスを重視したとはいえ、公認会計士の広瀬さんは常に1,000万円前後の年収をキープしていた。8社目の転職先も、年収1,000万円という条件を提示されて入社。しかし、その給与水準がほかの社員より大幅に高かったため、社内で嫉妬の対象となり人間関係がうまくいかなくなる。
「この会社に入る前から、父が要介護状態になっていたので、私は定時で帰って介護する生活になっていました。ところが、高給をもらっているのにほかの社員より早く帰る、と散々叩かれる羽目になり、本当に心がすり減りました……。結局、試用期間を終えると同時に辞めることになりました」
このSIerを辞める時点で次の仕事は見つけていたが、その仕事の雇用期間が、予期せぬトラブルで大幅に短縮されてしまう。転職を繰り返しながらも、これまで無職の期間が一切なかった広瀬さんは、強い焦りを覚えた。また過去何回かの転職では、入社後に大きなギャップを感じるケースも多く、不安があった。入社前に十分な情報収集をしなければと思い立ち、転職サイトをじっくり眺めるようになった。
「転職サイトの中でも、有料登録していたビズリーチはよくチェックしました。ビズリーチは比較的年収が高く、内部統制のしっかりした企業からの求人が多い印象でしたし、情報量も豊富な点が気に入って、前々から登録だけはしてあったんです」
結果、広瀬さんは2018年、51歳のときに、ビズリーチ経由でスカウトを受けた大手量販店への転職を決める。年収は1,000万円ほど。ワークライフバランスを意識する働き方を理解してもらえた点も、転職の決め手となった。
「最近、学生時代の仲間が、それぞれの職場で役職定年などに怯えている話を聞くのですが、ヒエラルキーに縛られず自由にやってきた自分には、幸か不幸かそんな悩みはありません。これは、自分の強みでもあると感じます。50代以降の転職にも、全くためらいはないですよ」