スクラムは「守破離」の世界
日本人の生き方でもある

上條:それでカンファレンスに行く気になられたと。

野中:そうですね。その会場で、スクラムという手法を開発したジェフ・サザーランドに会いました。開会前に挨拶したところ、「ついに私(野中)に会うことができ、感激している」と涙ぐんでいました。

 ベトナム戦争に従事した元戦闘機パイロットで、しかも武器を持たずに飛び、最も危険な任務といわれた偵察機専門だったそうです。彼とは今でも交流が続いていますが、死線をくぐり抜けてきた人ならではの人間的温かさのあるディープ・シンカー(深く考える人)だと思います。

上條:ジェフさんとはどんなお話をするのでしょう。

野中:スクラムは単なるハウ・ツーではなく、日本流の物事の進め方、物事のあり方、ひいては個人の生き方にも通じると話したら、大きく頷いてくれました。合気道を習っているそうで日本文化にも造詣が深く、スクラムのやり方を伝える際には「守破離」のたとえを使うのだそうです。最初は決まった型を学び、自分のものになったら一工夫を加えてみる。うまくいったら、型から離れ、自分なりの創造性を加え、そのやり方をごく自然にできるように錬磨していくべきだと。

上條:スクラムと知識創造理論とのつながりはあるのでしょうか。

野中:大いにあります。スクラムについて解説したジェフらの最初の書籍にはSECI(セキ)モデルが引用されており、スクラム理論の中心になっています(図表2)。

 SECIモデルは知識創造理論の核となるもので、形式知と暗黙知が相互変換を繰り返しながら、組織内で新たな知が創り出されるプロセスを解明したものです。

上條:このモデルも発表されてからかなり経ちますね。

野中:初めて発表したのが、米国で1995年に発刊されたKnowledge Creating Company(『知識創造企業』)で、以後、内容がかなりバージョンアップされてきています。その貴重な理論的基盤となっているのが現象学の知見です。

 たとえばスクラムでは、チーム全員が毎日決まった時間に15分でも集まってミーティングを行い、「昨日やったこと」「今日やること」「障害になっていること」が話し合われます。「いま・ここ」の現在において、過去を反省し、未来を先読みしているわけです。

 客観的に考えると、現在、過去、未来は明確に区切られ、それぞれ長さのない点にすぎませんが、現象学はそれらを一つの流れとして捉えます。過ぎ去った過去とこれからくる未来を含む現在を「幅のある現在」と呼びます。それが実感できる朝会のような場では、単なる情報交換ではなく、各自の思いが交錯し、本音の対話が繰り広げられる。SECIモデルで最も重要な最初のS、つまり、各自の暗黙知を共有し、重要な本質を皆で洞察する「共同化」と「表出化」が行われているのです。

上條:なるほど。SECIモデルはイノベーションが生まれるプロセスを説明する理論でもあるわけですから、アジャイル開発にはイノベーション創出の仕組みが組み込まれていると考えていいのでしょうか。

野中:いいと思いますね。

上條:ただ、お二人がせっかく創り出したコンセプトなのに、米国が磨きに磨いて、まったく別業界における革新的コンセプトにしてしまった。そのおかげもあり、日本企業に比べ米国の特にIT企業は元気です。この状況をどうご覧になりますか。

野中:それはまず当時の米国が必死だったのです。当時はまさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代で、米国が元気を喪失していました。我々の論文が出た1986年から日本ではバブルが起こり、経済も絶好調になるわけです。自動車でも家電でも、日本企業の製品開発はとにかく速い。品質もいい。その背後にどんな仕組みがあるのかを彼らは知りたがった。その答えが我々のスクラムだったのです。

上條:無駄を徹底的に排除したトヨタ生産方式を米国企業が採り入れたのもこの頃ですね。