プロジェクションマッピングやレーザーを使ってこうしたいといった具体的なオーダーではなく、抽象化された目標だったから、ライゾマティクスとしてもいろいろなことにチャレンジできたのだと思います。長くコラボレーションしていると共通言語が増え、お互いの理解も深まるので、よりリスクが高いことにチャレンジできるようになります。

山田 抽象化された目標という話を伺って思い出したのですが、私が自宅を新築した際、建築家から言われたのは、「どんな家に住みたいか、なるべく抽象的に話してください」ということでした。それで私は、「オープン」「シンプル」「モダン」「自然」といったいくつかのキーワードを挙げたのですが、創造的な活動を行う際には抽象化した目標を掲げるテクニックが重要なのだとあらためて認識しました。

真鍋 ライゾマティクスの創立メンバーにも建築学科出身がいるのですが、建築プロジェクトは大きいものだと十年単位の時間がかかりますし、建物ができた後は何十年もそこに存在し続けることになります。その間に技術やツールは進化しますし、社会環境や時代の空気も変わります。

 ですから、建築家は目標やコンセプトをうまく抽象化して、時代の流れに耐えうるものをつくろうとしますよね。5年、10年と同じコンセプトで続けられる目標設定をしないと共創関係を長く維持できないので、その点は僕も意識的にやっているかもしれません。

山田 私たちが企業や組織変革を支援する際、中長期のスタンスで大きな変革に取り組む場合には、未来像などの抽象化した目標を設定します。企業や社会としてのありたい姿があまり具体的すぎると、ありたい姿そのもの、その価値観や思い、ありたい姿の実現に向けた改革のアプローチを整合するのが難しいですし、創造性を発揮する余地がなくなるからです。

 逆に変革によって短期的な成果を生み出さなくてはならない場合は、できるだけ解像度の高い目標を設定して、それに向かって力を結集し、効率的かつスピーディに達成できるようにします。短期的な成果を出して、それを積み上げることで方向性が正しいことをみんなが理解し、長期的な変革の持続可能性を高めることにもつながります。

 そういう意味で、抽象化した長期的目標と解像度の高い短期的目標の方向性を合わせ、整合性を取ることも重要です。

価値創出と社会課題の解決を加速するビジネス変革の道筋山田貴博
アビームコンサルティング 代表取締役社長CEO
外資系コンサルティングファームでの日本、アメリカ勤務を経て、アビームコンサルティング入社。 総合商社、金融、通信、エネルギー、運輸を中心に幅広い業界で戦略策定、経営・業務・IT改革などを担ったのち、金融・社会インフラビジネスユニット長に就任。2016年取締役 、2020年代表取締役副社長COOを経て、2023年4月より現職 。

共創パートナーがいるからリスクを取れる

真鍋 少し視点が異なるかもしれませんが、僕らは一つのプロジェクトを成功させたら、その先の道が開けるというパターンが多くて、たとえば、テレビの生放送で複数のドローンを飛ばし、それをライブ演出で制御したのは僕らが初めてだと思います。それが新たなプロジェクトにつながりました。

 ライブエンタテインメントの世界でも、東京ドームのような大きな規模でパフォーマーの動きをデジタルでとらえてリアルタイムにCG を自動生成したり、音楽に合わせて舞台照明を変化させるソフトを開発し使用した前例はありませんでした。でも、Perfume のライブでそれを成功させたことで、インタラクティブな舞台演出をほかの人たちも手掛けるようになりました。

 実績を積み上げながら、リスクの高いプロジェクトを一緒にやってくれる共創パートナーを増やしていくと、新しいフィールドが開けたり、みんなの常識を変えたりすることも可能だと思います。

山田 リオデジャネイロ五輪閉会式(2016年)での東京五輪への引き継ぎセレモニーは、リハーサルなしの一発勝負だったそうですが、そういうリスクの高いプロジェクトをライゾマティクスが任されたのも、実績の積み上げと時にはリスクをも共有する共創パートナーの存在があったからでしょうね。

真鍋 あれは本当に制約の多いプロジェクトでした。閉会式が行われた競技場を使ったリハーサルは一回もできなくて、AR(拡張現実)を使った映像がフィールドでどう見えるかをコンピュータでシミュレーションするソフトウェアを開発するなど、入念な準備を重ねたうえで本番に臨みました。リスクを取らない方向にいけばもっと楽なプランはいくらでもあったのですが、東京五輪への期待を高めるためにも前例のないチャレンジをしようと。チーム一丸でそのリスクを取れたのは、コラボレーター、共創パートナーの存在があったからこそです。

価値創出と社会課題の解決を加速するビジネス変革の道筋「新しいテクノロジーをいち早く作品に実装して検証する。そこから議論を促す活動は続けていきたい」

数年先の進化を織り込んでテクノロジーを適用する

山田 いまやテクノロジーの活用なくして、共創による課題解決や価値創出は不可能といっていいほどです。逆にテクノロジーの可能性をうまく引き出すことで、これまで見えていなかった課題を可視化し、その解決策をデータで仮説・検証し、さらに組織や社会に実装していくことができるようになります。

 たとえば、人的資本、知的資本、自然資本といったこれまでデータでとらえられていなかった非財務資本と将来の企業価値との相関性をテクノロジーで可視化することで、企業価値向上に資するさまざまな変革をより高い精度で、効率的に実施していくことが可能です。

 そういった際には、解決すべき課題や社会実装の方向性に応じてどのテクノロジーを適用していくか、テクノロジーの進化を織り込みながらどうアーキテクチャーをデザインするかといった見極めが成否を左右します。

真鍋 日本のフェンシング史上初の五輪メダリストとなった太田雄貴さん(2017〜21年日本フェンシング協会会長)とライゾマティクスが取り組んだプロジェクトは、いまおっしゃったことが当てはまる事例だと思いますので、簡単にご紹介します。

 太田さんは、「フェンシングの魅力をよりわかりやすく伝えたい」という課題感を持っていて、13年に相談を受けたのが始まりでした。

 フェンシングはとても動きが速くて、観客は剣先の動きをつかめず、いつどちらにポイントが入ったのかわかりません。そこで僕らは、「ものすごく速く動く剣先の軌跡を可視化する」というアイデアを提案しました。

 剣先や選手にマーカーをつけてカメラで撮影すれば、当時でも動きを可視化することはできました。しかし、それでは実際の試合で活用することはできません。

 最終的に僕らは、マーカーなどを一切使わず、カメラの画像だけから剣先の位置を検出できる独自のアルゴリズムを、深層学習AIモデルをベースに開発し、AR技術でリアルな空間にCG 映像を重ねて表示することで、剣先の軌跡を可視化することに成功しました。

 技術的にかなり難しいタスクで、13年当時では実現できないことはわかっていましたが、AI の進化のスピードはすさまじく、いろいろな企業がそこにリソースを投じることは予測できたので、東京五輪が開催される20年には間に合うだろうと見定めて、プロジェクトをスタートさせました。

 機械学習用の大規模なデータセットを新たに撮影したり、その画像を教師データとして使うために(画像データに位置情報を加える)アノテーションを自分たちで行ったりと、いろいろ苦労はありましたが、6年かけて実際の試合で使えるレベルのシステムを構築し、19年のプレ五輪の大会で導入されました。

 いまできることではなくて、何年後かにできるようになる技術を見極めるのは難しいですが、東京五輪という大きなゴールを設定し、それに向かって進化していくようなプロジェクトを計画し、実行したのがいい結果につながったのだと思います。

 そういう点では、みんなが寄りかかれる目標を設定して、研究開発していくことがやはり大事です。

 僕らが関わっているアートやエンタテインメント、スポーツなどのプロジェクトは、一般の人たちに実際に見てもらえるので、成果がわかりやすく、共創パートナーであるみんなが一致団結しやすいというよさもあります。

山田 パリ五輪で日本のフェンシングは金2つを含む計5個のメダルを獲得するなど大躍進を遂げました。「フェンシングの魅力を伝えたい」という目標を共有し、テクノロジーの活用を含めて、新たなチャレンジを受け入れ、楽しめるオープンなマインドセットや共創パートナーの存在が、選手たちの活躍の背景にあるのかもしれません。

真鍋 太田さんは日本のフェンシングを強くしたいという強い意志があり、テクノロジーに対する感度もすごく高い人です。そういう人がフェンシング界のリーダーの一人だということは、たしかにパリ五輪の結果にも影響しているような気がします。

価値創出と社会課題の解決を加速するビジネス変革の道筋目にも留まらないフェンシングの剣先の動きを検出できる独自のアルゴリズムを開発し、AR技術でリアルな空間にCG映像を重ねて表示することで、可視化することに成功した。

オープンソース志向が持つ本来の意義を学ぶ

山田 真鍋さんは、自分でつくったものを世の中に公開するオープンソース志向で活動してこられたということでしたけれども、オープンなコミュニティをつくって、そのオープンネスを維持していくことも共創を進めるうえで重要だと思います。

真鍋 オープンソースやコミュニティという概念は、僕の中でもすごく大きなキーワードです。僕はオープンソースのコミュニティにずっといて、いまほど仕事が忙しくなる前は、ソースコードを書いてみんなが使える状態にして公開するという活動をかなりやっていました。