「易きになじまず難きにつく」
創業の精神を継承するAGC

 松永や出光とほぼ同時期に生を受けた企業家がいる。1907年に旭硝子(現AGC)を創業した岩崎俊彌(1881〜1930)だ。日本の居住環境が障子やふすまからガラスに移行する時代、イギリスに留学して応用化学を学んだ岩崎は板ガラスの製造に挑戦する。

「岩崎の信念は『易きになじまず難きにつく』で、いまも当社の創業の精神として受け継がれています」とAGC副社長の宮地伸二氏は語る。

大変革期の経営は歴史から学ぶAGC 代表取締役 兼 副社長執行役員 CFO/CCO
宮地伸二 氏

精密機器メーカーでITエンジニアとして勤務後、1990年旭硝子(現AGC)入社。国内関係会社社長、新規事業部門長、経営企画部門長、米国関係会社社長、電子部材部門長など幅広い分野での経験を経て、2016年1月CFOに就任、現在に至る。

 岩崎の挑戦はなかなか実を結ばなかったが、1914年に勃発した第1次世界大戦で状況が一変する。ガラス製造の本場で、日本でも大きなシェアがあったヨーロッパ製品の輸入が途絶えたのだ。

「当社のガラス事業が急速に拡大するきっかけになりました。また、戦争によって、板ガラス製造に必要なソーダ灰や耐火煉瓦の輸入もストップし、内製に切り替えざるをえませんでした。当社の特徴はガラス事業のほかに、化学、セラミックスを持つ事業構造にありますが、それは、創業間もなく始まった戦争をきっかけに形づくられたものです」と宮地氏は話す。

 また、地域軸での事業拡大もある。海外展開の始まりは戦前、満州に設立した合弁企業に遡る。戦後は1956年のインド旭硝子の設立が最初の海外進出だ。

「海外進出は、まずアジア地域から始まりました。現地企業との合弁会社設立が主たる方法です。欧米への本格展開は1980年代に始まりましたが、こちらではM&Aを多用しています」と宮地氏。その後も同社はグローバル展開に積極的に取り組んでいる。