多くの人は、社会生活を送るうえで「知っておかなければ恥をかくニュース」を押さえておくために新聞を取っていただけであって、それ以外の記事などろくに読んでいなかった。
だからこそ、ネットでニュースだけが無料で供給されると知るや、日常的にインターネットに触れている人から順にニュース供給元として新聞を選ばなくなり、無駄な出費を抑えたにすぎない。
「必要最低限の社会適応装置」にしか金を払わない
多くの人は「教養」や「文化」にではなく、「必要最低限の社会適応装置」にしか金を払わない。筆者も含む書き手やメディアの人間は、この身も蓋もない残酷な事実を認める必要がある。
この構図、何かに似ている。CDアルバムだ。
CDアルバムは本来、ジャケットのアートワークや曲順設計やブックレットの解説文なども含め、世界観を表現する「文化的な作品」だった。しかし、アーティストについたコアなファン以外の多くの消費者にとって、そんなものはどうでもよく、最低限「曲さえ聴ければ」それでよかったらしい。だからこそ、その最低限がiTunesやSpotifyなどで代替されると、CDアルバムはサービス過剰の代物になっていった。「余計なものはいらないから、曲だけ安く聴きたい」だ。
無論、物理メディアが配信に取って代わられた要因は、他にもたくさんある。入手工数の少なさ、収納場所が不要であること、事実上無限の曲数を持ち運びできる便利さ、サブスクの安価な料金設定など。
しかしそれらを踏まえても、物理メディアという「モノ」でしか供給されない文化的な諸要素が、思いのほか多くの人にとって「なくても支障はなかった」という残酷な事実には――骨太な読み物記事を心血注いで執筆する新聞記者と同様に――かつて多くのアーティストがショックを受けたのではないだろうか。







