レンタルビデオ店と書店はなぜ廃れたか
ある商品やサービスが、本来は多様な価値を持っているにもかかわらず、多くの利用者はそのうち「最低限必要の機能」しか消費していなかった。その最低限が、安価もしくは無料で代替可能になった瞬間、商品やサービス全体が不要と判断された――。このような事例はCDアルバム以外にもある。
たとえばレンタルビデオ店や書店。独自性やセンスが光る作品陳列、店員による手書きPOP、ジャケットや表紙を眺める楽しみ、予想していなかった作品に偶然出合う知的興奮。これらは映像文化や書物文化を味わうための大切な要素……のはずだった。
しかし、多くの人にとってレンタルビデオ店は「週末に話題作を1、2本見るための供給装置」であり、書店は「話題のベストセラーを狙って買う場所」あるいは「買い続けている漫画の最新刊を手に入れる場所」でしかなかった。
よって、その最低限のニーズがNetflixなどの定額制動画配信サービスやアマゾンなどのネット通販で代替されると、「店に行く手間」「目当ての商品がないかもしれないリスク」が無駄なコストとなり、店舗への来訪自体が敬遠されるようになった。
レンタルビデオ店も書店も文化空間としての価値は確かにあったし、現在でもある。ただ多くの利用者は、そこに「コストを払ってもいい」と思えるほどの価値は見出していなかったらしい。新聞の読み物やCDのブックレットと同じく、「なくても支障はなかった」のだ。
新聞も本も読まない時代――数字が示す深刻な現実
新聞に話を戻すと、若者が新聞を取っていない、読んでいないのは当然として、中年層も読んでいない。これは筆者が本の執筆用に実施した大学生グループインタビューで判明したことだが、そもそも彼らの実家、すなわち40~50代の親が新聞を取っていない。さらに言うと、筆者周囲の編集者、つまり文字を商売にする人たちですら、40代以下で新聞を取っている人はかなり減った感覚がある。
新聞ついでに読書の話をすると、2025年時点の大学生の月平均の書籍費は自宅生が970円、下宿生が990円で、前年の1450円、1500円から大きく落ち込んだ。また、大学生の51.5%が「1日の読書時間0分」である(いずれも全国大学生協連調べ)。若者が経済的に窮乏していて本を買えないという事情は当然考慮すべきだが、それでもやはり、他の娯楽に比べて書物に金を払う優先順位は非常に低いと言わざるをえない。







