伊藤忠は、1971年にいすゞ、GMの提携を仲介して初めて総合商社として認められたようなもので、それまでは大阪から来た繊維商社にすぎなかった。売り上げは1兆円を超えていたし、戦前からの歴史のある会社ではあった。だが、GMのパートナーとなるまでは、関西発の一繊維商社のイメージから抜け出すことはできなかったのである。

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