オイルショックによる
世界同時不況
東亜石油の失敗が明らかになったのがオイルショック(第一次)のときだった。
1973年、第4次中東戦争が勃発すると、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)に加盟するアラブ産油国は親イスラエルの政策を取るアメリカ、ヨーロッパ、日本などに対して、石油の供給制限をする戦略を取った。次いで、アラブ以外も加わるOPEC(石油輸出国機構)が原油価格を約4倍に引き上げたため、オイルショックとなる。
その後も原油価格は高騰していき、世界経済は打撃を受け、同時不況となった。ショックと言葉が付いているけれど、戦前だったら、「恐慌」と表現する規模の世界同時不況だった。
オイルショック前の原油価格を見ると、1バレル(約160リットル)が2ドル程度だ。それがオイルショックで8ドルから10ドルになり、その後は10ドルから20ドルの間で推移している。
1999年ころからOPECが減産を始め、価格は上昇、リーマンショック前は130ドルまで行き、その後も100ドル近辺だったが、コロナ禍で一時、安くなったものの、今はまた値上がりしている(石油連盟調べ)。
オイルショック以前、石油はミネラルウオーターよりも安く、日本は安価なエネルギーを得ていたこともあって高度経済成長が進んだのだった。
日本は田中角栄内閣が提唱した日本列島改造論の結果、地価をはじめとしてさまざまな物価が値上がりしていた。加えてオイルショックで原油の値段が4倍以上になったため、便乗値上げもあり、商品価格が上がり、さらにモノ不足になったのである。
なぜか全国的に店頭から消えたのが、トイレットペーパーと洗剤だった。わたし自身、高校生になったばかりだったが、高校のトイレからトイレットペーパーがなくなり、生徒は自宅からマイペーパーを持って通学しなければならなかった。
原因は生徒たちが自宅で使うため、トイレットペーパーを持ち帰ってしまったからだ。
そういう現象が起こったのはわたしの母校だけではない。高校、大学、専門学校でもトイレットペーパーを持ち去る学生がいた。
コロナ禍で一時、マスクや消毒薬がなくなったけれど、オイルショック時のトイレットペーパー、洗剤の消え方は度を越していた。庶民のパニック買いだけで店頭から消えたのではなく、高値で売るために倉庫に隠していた企業があったのだろう。