2008年、24歳のときに、ある日突然乳がんを宣告された鈴木美穂さん。日本テレビに入社して3年目、記者として充実した日々を送っている最中だった。3週間後、右乳房を全切除。強い喪失感、副作用に苦しんだ抗がん剤治療などを経て8ヵ月後に職場復帰した。そしてこのほど、今に至るまでの約10年間の記録を、その時々の気づき、思い、学びとともに『もしすべてのことに意味があるなら~がんがわたしに教えてくれたこと』として1冊にまとめ、2月28日に出版。今回は、手術や闘病中のこと、そしてファッションウィッグにまつわる感動した出来事について伺った。(構成/伊藤理子 撮影/榊智朗)

がんになっても、<br />どんな傷を負っても、<br />「この私」を代わってくれる人はいないから

「どうやって“この自分”で生きていくのか」のヒントを集めるために行動し続けました

──著書では、手術のことや闘病中の苦しさも赤裸々に描かれています。

 24歳で乳がんを告知されたときには、本当にがんについて何も知りませんでした。身近でがんになった人が一人もいなかったし、何より私自身まだ若くて、人一倍健康だと自負していたので、がんについて知る機会も、知ろうと思ったこともありませんでした。

 だから、「右乳房を切除し腫瘍を取り除いてしまえば、治療は終わり」と思っていたので、なぜ抗がん剤を投与しなければならないのか理解に苦しみました。今検査で見えているがんは手術で取り切れても、まだ見えないレベルのがんが体のどこかに散らばっている可能性があるなんて、思ってもみなかったのです。

 私の場合は、わからない点、疑問に思う点が出てきたら、その都度先生にとことん聞いて、がんに関する知識を少しずつつけていきましたが、誰しもきっと、家族や友人など身近な人にがん経験者がいなければ、きっとわからないばかりで混乱するはず。そんな方に向けて、リアルな情報もしっかりお伝えしたいと思い、闘病中のこと、その過程で学んだことも記しました。

──手術自体は、順調に終わったそうですね。ただその後は、辛い抗がん剤治療が待っていました。

 手術にかかった時間は3時間程度でした。右乳房の全切除のほか、手術中にリンパ節への転移も見つかったため、同時にリンパ節も取りました。

 手術後、ベッドの上で目覚めたときは、手術が無事に終わったことに安堵しましたが、翌朝傷の痛みで目が覚め、現実に引き戻されました。包帯をぐるぐる巻きにされ、ぺたんこになった右胸に目をやることもできませんでした。
そして数日後、シャワーを浴びるために初めて包帯を取ったとき…思わず卒倒しそうになりました。右乳房があったところに、斜めに横断する大きな傷。あまりに衝撃的なビジュアルに、号泣してしまいました。

 そして、現実をなかなか受け止めることができない中で、抗がん剤治療が始まりました。抗がん剤に関しては、髪が抜ける、気持ち悪くなり吐き気がするというイメージを持っていましたが、まさにその通りで。全身のありとあらゆる毛が抜け落ち、体中が吐き気に支配され、心身ともに参ってしまいました。

 ただ現在では、治療の痛みや辛さを和らげる「支持療法」が進んでいます。がん治療中の方にお会いする機会も多いのですが、仕事をしながら抗がん剤治療を受けている人も多く、医療の進化を感じます。

──著書の中で、「抗がん剤を投与して始めの1週間も辛いけれど、2週目が吐き気のピークで、3週目に少し落ち着いてきたかと思った頃に次の投与が回ってくる。この繰り返しに絶望した」とありました。そんな辛い状況の中で、ご自身を支えていたものは何ですか?

 うーん…正直、時が経つのを待っているしかありませんでしたね。
人生の終わりが迫っているかもしれないと思うと、将来に対して何の目標も持てなくて、新たなものを得ようという気持ちになれず、本も読めないしテレビも見られませんでした。ベッドに横たわりながら、“がんになった自分”でこの先をどう生きていけばいいのか、ただただ悶々と考える日が続きました。

 当たり前のことですが、人生が長かろうと短かろうと、どんな出来事があっても、「この自分」「この私」で生きていかなければなりません。自分から逃げることも、誰かに変わってもらうこともできません。
 結局このときは、悶々と考えても結論が出ませんでしたが、治療がひと段落した後はずっと「どうやって“この自分”で生きていくのか」のヒントを集めるために行動し続けました。この本は、その行動の記録ともいえます。