今月の主筆 サブカテゴリ
第4回
「お堅い」銀行業界にありながら、国内外のアクの強い多くの企業経営者との親交も深い、みずほフィナンシャルグループの佐藤康博社長。異なるバックグラウンドの彼らと、腹を割って話し合える秘訣は、どこにあるのだろうか?
第1回
ダイヤモンド・オンライン「3月の主筆」はコンビニエンスストア「ローソン」の経営者として「コンビニ戦国時代」に臨む玉塚元一・ローソン会長。自身のリーダーシップが育まれた背景や新たなコンビニの闘いへの考え方を披歴する。第1回は「生粋の慶應ボーイ」というイメージがある玉塚氏がなぜ現在のような“汗をかく”経営者になったのか。その原点を語る。
最終回
カルビーの松本晃会長は、論理的でリアリティのある視点でカルビーの成長をリードしてきた。一連の発想の起点は、どのような体験にあるのか。
第3回
「働き方改革」は今や、“国家プロジェクト”として政府をはじめ各企業が取り組みを推進している。しかし私自身の経験で言えば、これほど旧体制派が強い抵抗を示すテーマもそうない。働き方改革が「革命」になるためには、経営トップの人材に対する考え方を根本から見直さなければならない。
第2回
カルビーの経営における私の取り組みは、「コスト・リダクション」と「イノベーション」の2つが根幹である。これは2009年6月にカルビーの会長兼CEOに就任以来一貫して変わらない。おかげさまで就任以来、増収増益を続けてきたが、これは逆に言えば、カルビーはそれまで持てるポテンシャルを十分に発揮できていなかったからだとも言える。
国内スナック菓子市場での商品シェアを、就任から7年ほどで5%近くも拡大させるだけでなく、海外市場でも先駆的となる市場開拓を続けるカルビー。その経営をリードしてきたのが松本晃会長兼CEO。カルビーを任される以前に磨いた経営力と、カルビーでの経営改革について語る。
最終回
広島で生まれ今も広島に本社を構えるマツダ。経営面では紆余曲折を経ながらも「マツダ車でなければダメなんだ」という熱烈なファンを持つほどのブランドを確立したマツダを率いる小飼社長に、ものづくりへのこだわりや、地域に根付く企業の在り方を改めて聞いた。
第3回
マツダは広島の会社であり、日本で生まれた日本の会社だ。日本人でないと発想ができない、日本でないと開発ができない商品ということにこだわりを持っていたい。日本的な良さというのは「もてなす」と「和」の世界ではないだろうか。和の精神でお客様に最大のおもてなしができるものを作ろうという意識は、日本人には自然にあると思うし、それが一つの強みになってほしいとも思う。
第2回
マツダという会社の来し方を振り返るにあたって、米フォード・モーターとの関わりは欠かせないテーマだ。マツダとフォードとの関係は古い。フォードが株式の24.5%を取得して資本提携したのは1979年11月のことだった。今回はフォード傘下でマツダが何を学び、その後、全社をあげて取り組んだ「モノ造り革新」によっていかに復活したかを述べたいと思う。
第1回
広島で生まれ今も広島に本社を構えるマツダ。1990年代に経営危機に陥り、米フォード・モーターの傘下で大リストラを経験し、リーマンショックで再び業績は悪化するなど紆余曲折を経ながらも「マツダ車でなければダメなんだ」という熱烈なファンを持つ自動車メーカーだ。そのマツダを率いる小飼社長がグローバルの激しい競争にさらされる自動車という市場でいかに経営の舵取りを行なうか、経営戦略・経営哲学を語る。
最終回
臆せず語られる明確な時代認識と理念。その上で示される経営理論や会社の未来図に説得力があるのが三菱ケミカルHDの小林喜光会長だ。その問題意識や背景を聞いた。
第3回
私がイスラエル留学中に人生の転機とも言える経験をしたのは連載の1回目で紹介した。意外に知られていないがイスラエルは、“中東のシリコンバレー”と言われるほどのイノベーション大国として世界的に注目されているのだ。その理由を探ることは、日本の産業や企業経営にも資するものが多いのではないかと思うのだ。
第2回
私は2005年に常務執行役員となり、2006年暮れに三菱ケミカルホールディングスと三菱化学の社長就任の内示をもらった。それから2007年4月の社長就任まで、気になって仕方がなかったことがある。「三菱ケミカルホールディングスグループとはなんの会社であるのか」というものだ。
第1回
科学者としての一本気と、世界の未来を見据えた経営で「哲人経営者」と呼ばれる小林喜光氏。経済同友会会長も兼務するが、その常識や慣習にとらわれない深い洞察には、傾聴すべきものが多い。イスラエルでの留学経験が今の自分に大きな影響を与えた語る小林氏が経営理念・改革のあり方を語る。
最終回
今月は、ヤマトホールディングスの木川眞会長が、同社の「イノベーションを生む体質」をテーマに執筆。みずほコーポレート銀行出身の木川会長が、小倉昌男以来のヤマトグループの革新をどのように受け継ごうとしてきたのか。銀行時代の経験も踏まえて聞いた。
第3回
ヤマトグループのイノベーションの基本的な考え方は、「問題を解決するための手段が、自分勝手でコスト増につながってはならない」というものだ。羽田クロノゲートに象徴されるゲートウェイ構想も、本質的にはコスト構造改革だ。その上で、当日配達ニーズに応えられるとか、B2CだけでなくB2Bの分野で企業の物流改革に貢献できるなどの副次的な効果が生み出されている。
第2回
ヤマトグループは第1のイノベーションである路線事業、第2のイノベーションである宅急便を経て、今、第3のイノベーションと位置付ける「バリュー・ネットワーキング」構想を推進している。ここでは、物流が単なる輸送手段という枠を超えて、価値を生み出す一つの手段になるための方策を考えている。つまり、物流が新たな収益源の一つになるようなソリューションの提案だ。今回はこの構想に至った経営判断について振り返ってみる。
第1回
ヤマトホールディングスは、3年後の2019年に創業100周年を迎える。これを人に話すと「そんなになるんですか」と驚かれる。イノベーティブな企業イメージの背景には、宅急便を始めてからのさまざまな商品とサービスの革新性があるようだ。ヤマトグループの革新力は、いかにして生まれ、継続しているのか。それは他の企業にも敷衍できるものなのかを考えていきたい。
第4回
商社業界に新風を吹き込むような革命を次々と手がけた岡藤正広・伊藤忠商事社長。繊維部隊の社員だった時代から一環して泥臭く悩み抜き、磨き上げた現場感覚を大切にする、「総合商社の革命児」に話を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド社論説委員 鎌塚正良)
第3回
純利益の大躍進や巨額投資だけでなく、いわゆる「働き方改革」でも、伊藤忠商事はたびたび注目されている。「岡藤改革」とも呼ばれるこれらの改革は、どのような考え方を基に生まれたのだろうか?