保守的なカルチャーの銀行業界にあって、先鋭的な改革を次々と打ち出しているみずほフィナンシャルグループの佐藤康博社長。1回目は、邦銀を取り巻く環境と、その中でのみずほの存在感について、語ってもらう。
最強のプレイヤーが次々落ち目に
世界の銀行は激流のただ中にいる
私がみずほの前身銀行の1つである日本興業銀行に入行したのは1976年。あれから今に至るまでの約40年間、日本のみならず、世界的に金融業界は何度も大変革の波にさらされてきた。
私はよく、金融業界の歴史を4つに分けて考える。第I期は80年代まで。貸出主体の商業銀行と証券、保険などが独立して存在していた時代だ。日本ではこの時期の後半にバブルが訪れる。当時、邦銀が世界の時価総額でトップに躍り出たこともあった。どんどん給料も上がる、自社株も値上がる――日本の銀行がもっとも輝いた時代だった。しかしその後は苦難の連続である。
第II期は90年代。ここで金融のコングロマリット化、メガバンク化が一気に進んだ。証券会社のソロモン・ブラザーズがトラベラーズに買収され、その後トラベラーズとシティーコープが合併した。これが世界で初めての金融版総合デパートだ。
この第II期の終わり頃、99年に日本興業銀行と富士銀行、第一勧業銀行が統合を発表し、2000年にみずほが発足した。当時としては、世界最大規模の金融グループとして話題となったが、これでひと息、というわけにはいかなかった。2000年頃から始まった第III期では、投資銀行が世界を席巻したのだ。
ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレー、そして後に破綻したリーマン・ブラザーズといった投資銀行は、自己勘定取引、つまり自己資金を元手にした市場取引でROE(自己資本利益率)25%などという非常に高い利益率で大躍進をした。
貸出主体の邦銀のビジネスモデルでは、到底適わない利益率だ。われわれは指をくわえて見ているしかないのかと、ずいぶん歯がゆい思いもしたものだが、投資銀行の黄金時代は突如、終焉を迎える。2008年、世界中が大混乱に陥ったサブプライム問題に発端する金融危機、いわゆるリーマンショックが起こったのだ。