メイヤー そのエピソードは、2つの点でとても興味深いものだと思います。一つは、文化の架け橋の重要性に対する示唆です。
たとえば、異文化交渉の際には、交渉相手の文化についてできるだけ深く学んでおくことが大切ですが、それが十分にできない場合は、文化の架け橋となる人、つまり交渉相手の文化に精通している人に同席してもらい、助言を受けたほうがいいでしょう。それによって、望ましい交渉結果に近づく可能性が高まります。
もう一つは、文化によって沈黙への耐性が違うということです。欧米人やインド人は沈黙に耐えられないがゆえに、自分からどんどん発言しようとします。会議の場で誰かがしゃべっている最中でも、割り込んで発言することもしばしばです。日本人からすれば、「どうしてこの人は、ほかの人の話をきちんと聞けないのか」と思うでしょうね。
私の調査では、米国人は2秒以上沈黙が続くと不快感を覚えます。日本人は10秒や20秒の沈黙で、不快に感じたりはしないと思います。
私がそれを実感したのは、数年前、ブラジルでの出来事でした。私は日系企業のブラジル法人に招かれ、プレゼンテーションをしました。仕事が終わり、私が空港に向かおうとすると、ブラジル人社員から「日本から出張で来ている経営幹部が、あなたに聞きたいことがあると言っている。彼も日本に帰るから、空港まで一緒にタクシーで行ってくれないか」と頼まれました。
それでその日本人幹部とタクシーに同乗したのですが、互いにあいさつした後、彼は沈黙してしまいました。私はそれに耐えられず、すぐに世間話を始めました。彼は相づちを打つだけで何もしゃべらないので、次に私から彼にいろいろ質問しました。今回の出張はどうでしたか、といったたわいもない質問です。その質問に彼が一言か二言答えると、また会話が途切れます。
そのうち質問することもなくなり、私はついに諦めて静かにしました。すると、彼はおもむろにメモ帳を取り出し、私への質問を始めました。そのメモ帳には私に聞きたいことが、整然とまとめられていました。彼は私の話が終わるのを待っていたのです。
その時、沈黙を嫌がるばかりに、無駄な会話で時間を潰してしまったことを私は後悔しました。欧米人と日本人が仕事をすると、こうした事態が往々にして起こります。
安楽地帯に留まっていては真の相互理解は生まれない
鴨居 日本の文化では謙虚さが非常に重視されます。人の話を黙って聞く、他人の発言を途中でさえぎったりしないのも、謙虚であろうとするがゆえです。そして、組織のリーダーとしても、そうした謙虚さが基本的な資質の一つだと考えられています。
謙虚さは日本人の美徳だと私は思っていますが、異なる文化では必ずしもそう受け止められないことも理解しています。文化の違いによって謙虚さはプラスにもマイナスにもなりえることを私たちは知っておくべきですし、時には日本文化というコンフォートゾーン(安楽地帯)を抜け出さないと多様な組織をマネジメントすることはできないと思います。
メイヤー それはとても重要なコメントです。日本は集団主義的な社会であり、見解の相違があってもできるだけ対立を回避しようとします。そうした文化において、謙虚であることはとても大切です。
一方、世界には個人主義的で、見解の相違があった場合は対立をいとわない文化を持つ国もあります。ですから、おっしゃるように時にはコンフォートゾーンを抜け出す、あるいはコンフォートゾーンを広げ、あるポジションから別のポジションへと自在に行き来できるようにすることが必要です。
米国でも、謙虚さは美徳の一つです。しかし、私たちの文化では静かにしていることは謙虚さよりも、無関心であることと結び付けられがちです。
それに関するエピソードをご紹介しましょう。しばらく前に、米国のある会社と一緒に仕事をしたことがあります。海外にも複数のオフィスを構えていて、米国に次いで2番目に大きな拠点は東京にあります。