イスラム以前、アラビア半島には
多数のユダヤ教徒が住んでいた

 ユダヤ教徒とイスラム教徒の最初の接触は7世紀初頭、預言者ムハンマドがイスラム教を開創した時のメッカ(マッカ)にさかのぼる。古代からアラビア半島には多数のユダヤ教徒が居住していた。そこにイスラム教が誕生したので、メッカでは、しばらくイスラム教徒とユダヤ教徒の両者が共存している時代があった。

 ユダヤ教徒から見れば、イスラム教は“新興”宗教である。

 「何か新しい神を信じる人が増えてきたな」
「これまでと違う礼拝の仕方だな」

 両宗教の信徒が遭遇する度、こんな会話が繰り広げられていたのではないだろうか。両者はけん制しながらも共存していた。

 ただ、新興宗教であったイスラム教は、当初メッカでは街の中核を担うだけの十分な数の信者を獲得できなかった。そこでムハンマドは、622年にメッカからメディナ(マディーナ)に聖遷し、そこで初めてイスラム共同体(イスラム教の信仰に基づく社会)が形成された。メディナではイスラム教が中心となり、ユダヤ教や当時アラビア半島に存在していた多神教に代わって絶大な地位を誇るようになった。

 その後630年には、ムハンマドがメッカを奪還した。また、カーバ神殿の多神教の偶像は破壊された。以降、メッカがイスラム教の拠点となり、アラビア半島においてユダヤ教徒はおおむねイスラム教徒に服従する立場になった。

イスラム帝国の一員として
ユダヤ教徒は平和裏に暮らした

 632年にムハンマドが死亡すると、預言者の代理人とされるカリフが跡を継ぐ。イスラム帝国時代(この呼称はさまざまある)になり、帝国はその領域をイランや北アフリカに拡大していった。

 この時代にも、イスラム帝国内部には特定の領国を持たない多数のユダヤ教徒が居住していた。ユダヤ教徒は、“異教徒”としてジズヤ(人頭税など)を払うと、ユダヤの宗教活動が許された。

 こうしてイスラム帝国の一員としてのユダヤ教徒は、おおむね平和裏に暮らしていた。一例として、イスラム帝国支配下のスペイン(都市で言うとコルドバ、グラナダ、セビリアなど)では、イスラム教徒のムーア人とユダヤ教徒の交流も見られた。例えば、コルドバ出身のユダヤ教指導者・哲学者のモーシェ・ベン=マイモーンは、同郷のイスラム法学者イブン・ルシュドと交流があったといわれる。

 しかし、スペインがキリスト教徒の手に落ちると、イスラム教徒だけでなくユダヤ教徒もスペインから追放された。多くのユダヤ教徒は、宗教的に寛大なオスマン帝国に移住。そして11世紀末~13世紀末、キリスト教世界から、イスラム教が支配するエルサレムを奪還するために十字軍が派遣された。十字軍は、イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教徒もターゲットにして攻撃することもあった。

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ユダヤ教徒への差別や偏見、シオニズムが潮目を変えた

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