「私たちが認識しているあらゆる存在は、自分の心がつくり出したものである」。仏教の深層心理学ともいわれる「唯識(ゆいしき)論」は、現代社会をより良く生きる知恵ともなる。駒澤大学を紹介するシリーズの第2回は、その「唯識」思想と玄奘(げんじょう)三蔵を研究テーマとする、仏教学部仏教学科の吉村誠教授に話を伺った。
駒澤大学仏教学部仏教学科
吉村 誠教授
吉村 誠教授
『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵。彼がはるばるインドまで追い求めた仏教の教理は、4~5世紀に大乗仏教徒の間で起こった「唯識」という思想である。
「唯識とは、人の心と深く関わる、仏教の深層心理学のようなもの。一言で言えば、“私たちが認識しているあらゆる存在は、自分の心がつくり出したものである”という思想です」
そう説明するのは、仏教学部の吉村誠教授だ。
一般に、心は自分の意識にあると考えられている。仏教では「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」の五識に「意識」を加えた六識で全ての心を説明する。だが唯識では、その背後にさらに「末那識(まなしき)」「阿頼耶識(あらやしき)」という深層心理があると説明する。末那識とは現代の心理学でいう自我意識のこと。阿頼耶識とは、前世を含めた自分の全ての経験を貯蔵する“メモリー”のような存在である。