トランプ大統領が税制改革案をまとめたことで
本格的な議論がスタート
ドナルド・トランプ大統領が税制改革に関し「トランプ案」を示しました。
普通、税制改革や予算に関する立法は、まず下院が法案を提出します。それに対抗するかたちで、上院やホワイトハウス(=今回のトランプ案は、これに相当します)も、それぞれ独自の案を示し、それらの異なった法案間での相違点を詰めてゆくことで、最終的にひとつの法案にまとめるわけです。
今回の税制改革では、まず去年6月に「ベター・ウエイ(Better Way)」と題された税制改革案が示され、税制改革の議論がキックオフされました。そして今回、ホワイトハウスの指示の下、財務省がまとめた「トランプ案」が出たことで、いよいよ税制改革論議が熱を帯びることになります。
トランプ税制改革案では
個人の所得税を3段階に簡素化
先週発表されたトランプ案では、まず現在7段階になっている個人の所得税率を10%、25%、35%の3段階に簡素化することが提案されました。この35%という最高税率は、大統領選挙期間中にトランプが公約した33%より高いです。ちなみに、現在の最高税率は39.6%です。
つぎに、個人に対する標準控除は2倍に増額されます。これは税金を払わなくて良い低所得者層が増えるという効果を持ちます。具体的には、個人で年間所得6300ドル以下、夫婦で1万2600ドル以下の人は無税になります。
さらに州税、地方税を、連邦税を計算する際の収入から控除することは出来なくなります。これは、ニューヨーク、カリフォルニアなど、高い州税を課す州に住む国民には不利に働きます。
相続税は廃止され、難解で不人気だった代替最少税額も廃止されます。オバマケアの際、導入された、投資利益に対する3.8%の割増税も廃止されます。
一方、法人税は現行35%が15%に引き下げられます。また、海外利益については無税とします。
現在、米国企業は海外に2.6兆ドルの利益を留め置いているのですが、それに関し、1回限りの課税(トランプ案の場合、その税率は未定、下院共和党案の場合、8.75%)で、米国に利益を戻すことができることにします。
リミテッド・パートナーシップ、Sコーポレーション、LLCなど、いわゆるパススルー・エンティティ(=法人が納税義務を負うのではなく、その法人のオーナーが本人の所得税率に応じて納税するようなペーパー・カンパニーを指します)の税率は、現行の場合、個人の所得税率で納税される(=最高39.6%)ことになっていますが、今後は15%にします。
以上が「トランプ案」です。
トランプ税制改革案の中身は
墓場から蘇った「サプライサイダーの議論」
こう書くと、極めて入り組んでいるように見えるのですが、実際にはこの草案は1ページの中に収まっています。
普通、税制改革法案は数百ページにも及ぶため、「トランプ案」が要点の箇条書き以上の何物でも無く、これから詰めてゆく必要があることを物語っています。
これら一連の税制の変更で、4兆〜7兆ドルの減税になるといわれています。
しかし、低所得者層も富裕層も企業も、全て減税となる「トランプ案」では、歳入の減少をおぎなう増税項目がありません。言い換えれば4兆〜7兆ドルの減税は、「減税が好景気を招来し、それによりたぶん税収が増えるだろう」というご都合主義的な想定の下にデザインされているのです。
もし、好景気で税収が増えなければ、その穴埋めは米国政府がもっと国債を乱発することで賄われます。
この「減税がもたらす好景気で税収が増えるから大丈夫」という考え方は、難しい経済学の概念では「サプライサイダーの理論」と呼ばれます。
前回、大きな税制改革が行われた1986年に、経済学者、アーサー・ラッファーを中心とするグループが「政府の役割を小さくし、税金を安くすれば、それは経済成長を促すことにつながるので、結局、政府の税収は、それほど減らない」という議論を展開しました。
そうした、経済活動において需給側よりも供給側(サプライサイド)を重視する人たちを、「サプライサイダー」と呼びます。
しかし実際には、そういう事はまったく起こらず、逆に米国連邦政府の債務は急膨張し、サプライサイダーたちの主張が間違っていたことが実証されたのです。
従って、今回の「トランプ案」が、まるでゾンビが墓場から生き返ったかのようにサプライサイダーの議論を持ち出してきたのは、「たぶん投資家や有権者は、過去の失敗のことなどもう覚えていないだろう」という厚かましい見くびりとも言えます。
自分の税金さえ安くなればよい投資家たちは
無責任な減税が大好き
とはいえ、投資家は減税が大好きです。自分の税金さえ安くなれば、あとは政府がどうなろうとそれは自分の知ったことではないのです。したがって「トランプ案」が無責任であればあるほど、株式市場はそれを好感すると考えられます。
ある意味、将来、しわよせを受けるリスクの高い層とは、政府からの給付に依存している弱い立場の人たちと言えるかも知れません。
税金というものが、富める者から貧しい者への「富の再分配」のメカニズムである以上、富裕層にとって好都合な税制とは、政府からの救済を本当に必要としている人たちへの給付が、将来のある時点で維持不可能になるリスクを孕んでいるような税システムです。
もっとあからさまな表現を使えば、「勝ち逃げ」出来る仕組みということになります。
民主党は、伝統的に社会保障制度の擁護者の立場であり、それらの制度の存続を脅かす、無責任な減税には批判的です。
その意味で「トランプ案」も攻撃の対象になるでしょう。
1986年の税制改革と比較すると
今回は有権者の関心が薄く、実現性も低い
今回の税制改革は、1986年の税制改革とよく比較されます。そこで投資家が見落としている当時と現在の重要な相違点を指摘しておきたいと思います。
1986年の税制改革は、もともと民主党のビル・ブラッドレー下院議員(ニュージャージー州選出)が提唱し、それに共和党のロナルド・レーガン大統領が賛同するというカタチで成立に漕ぎ着けたのです。
つまり、民主党、共和党という政党間の違いを乗り越え、超党派的な合作により実現したということです。
ビル・ブラッドレー議員は、元プロ・バスケットボールの選手で、一時はNBAでも最も高い部類に入る年棒を貰っていました。つまり高給取りだったということです。一方、ロナルド・レーガン大統領も、もともとハリウッドのスターで、かつて彼の所得税は90%でした。
このように、この2人は「べらぼうに高い所得税が、どのようにヤル気を無くさせ、ひん曲がった節税対策を助長するか?」ということに関して自分自身の体験から深い理解があったのです。
加えて、1970年代、アメリカはハイパー・インフレに見舞われました。
生活費が上がる一方で、労働者の賃金もベース・アップに次ぐベース・アップでした。このように賃上げがあっても、物価はもっと速いペースで上昇したので、庶民の暮らしは一向に楽になりませんでした。
ところが、所得税は名目の所得に応じて税率が切り上がる仕組みでしたので、これまで低い税率を享受していた低所得者層は、どんどん高い税率を適用され、税負担だけが年々重くのしかかる状況になりました。
つまり「税金を、何とかして欲しい!」という強い欲求が有権者にあったのです。1986年の税制改革が、超党派の協力の下で成就した最大の理由は「有権者が、強くそれを望んでいたら」ということになります。
ひるがえって今日の状況を見ると、税金に対する不満は有権者が最も関心を持っている争点ではありません。むしろ有権者は医療保険制度や社会福祉制度の維持・改善、雇用の安定、テロリズムなどに関心を持っています。
国民からの強い要求や支持が無い中で、ムリに共和党だけで何とか税制改革法案を通そうとするから、色々なところで壁にぶち当たるのです。
このように「トランプ案」が、そのまま法案として成立する可能性は、残念ながら極めて小さいです。また、法案成立のスケジュールも、8月とかではなく、ずっと後になると思われます。
トランプの税制改革案は現時点では夢物語だが
市場参加者にとっては買い続ける良い口実に
さて、株式市場の参加者は富裕層が多いです。だから市場参加者は減税なら何でも大歓迎です。世間では税制改革論議が冷たい目で見られているにも関わらず、株式市場がルンルンなのは、そのような事情によります。
また、相場は「噂で買い、現実で売れ」と言われます。つまり夢のうちが花なのです。
その意味では、出来るか出来ないかわからない、約束だけはデカい「トランプ案」は、投資家が割高なマーケットを買い続ける理由としては、この上ない口実を提供していると言えるでしょう。
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