菅直人内閣が正式に発足した。

 鳩山首相の突然の辞任を受けて代表選に出馬、樽床伸二議員を大差で破り、念願の内閣総理大臣の座を射止めた。

 国会議員わずか4人の社民連から政治人生をスタートさせ、少数野党の悲哀を味わいながらも、菅は首相になるという夢を一度もあきらめなかった。

 元政策秘書の松田光世氏は、菅と初めて会った学生時代のことを、今も鮮明に覚えているという。

「“市民ゲリラ”の菅直人がやってくる、なんていう看板が学園祭の会場に飾ってあった。なんだろう、この人は? というのが最初の印象だった。今の菅とまったく変わらない。菅直人という政治家は30年間、一貫して首相になったら――ということばかり考えている人だ」

 筆者が、菅直人と初めて会ったのは96年の春のことだった。旧軽井沢の鳩山別荘で、新党立ち上げの密談現場に居合わせたものだった。ただし、会ったといっても所詮、人気絶頂の国会議員と別事務所の秘書の間柄である、会話などもちろんない。

 ただ、鳩山兄弟と語らう菅氏は、とにかくよく喋りよく笑い、そして何時間でも政治談議をすることができるエネルギッシュな人物だという印象を受けた。

 当時、「イラ菅」とも綽名された菅首相だが、実際、きわめて激しい人物だった。

 おそらく夏の東京都議会議員選挙の時のことだったと思う。渋谷ハチ公前での街頭演説に向かう菅の乗った車が大渋滞に巻き込まれ、到着が遅れてしまったのだ。最初は車の中で静かだった氏だが、なかなか進まない渋滞の中でいよいよ痺れを切らした。同乗している若いスタッフに対して怒りを爆発させたのであった。

「なんでこんな道を通るんだ」

「誰だ、こんな遊説スケジュールを組んだのは」