責任を取りたくない人ほど会議にかけたがる
だから、責任を取りたくない人物ほど、何でも会議にかけて決めたがる。
会議で話し合ってみんなで決めるという体裁を取ることによって、当事者意識が希薄になる。何かまずいことが起こっても、みんなで決めたのだから自分の責任じゃないと責任回避ができるので、気楽でいられるというわけだ。
日本の組織にありがちな無責任体質も、この責任の分散心理に発する。
企画でも支払いでも、決裁書類につぎつぎに複数の人物の印鑑が押される。それによって責任が分散され、特定の個人が責任を持って決済するということでなく、みんなで決めたという感じになる。「自分が決めた」「自分が許可した」といった当事者意識を持つ人が誰もいないままに、物事が気楽に決まっていく。
自分に責任がかかってくるのは嫌だと思う人にとって、会議というのは何とも便利な決定機関なのである。
このような責任の分散心理を悪用する上司もいる。
たとえば、自分の指示や提案で失敗したり、問題が生じたりしたら責任を問われかねないので、何でも会議にかけて「みんなで決めた」ことにして、責任回避を図る。「みんなで慎重に議論して決めた」ということなら、責任を問われることはないと考えているのだ。そこにあるのは、「何かのときには私が責任を取るから、全力で推進してくれ」と言う上司とは正反対の、自分は責任を取りたくないという保身的な姿勢だ。
また、会議でいくら話し合っても、自分の意見や方針を押しつけるだけの上司もいるだろう。そういう場合、部下から見れば会議で話し合う意味がないと思うかもしれない。だが、上司にとっては、会議にかけることには大きな意味がある。自分の勝手な意見や方針を「みんなの決定」にして、いざというときの責任逃れを図ろうとしているのである。
このように、何でも会議で決めようという姿勢は、組織にとって非常に危ういものだとわかるだろう。
みんなが責任感を持って仕事をするには、自己責任という当事者意識を持つようにすべきである。そのためには何でも会議で決めるのではなく、現場に一定の決定権を与えるのが望ましい。それによって、みんなの本気度が高まるはずである。




