◆マリア・テレジアに学ぶ、危機のリーダーが“してはいけない”こと
【悩んだら歴史に相談せよ】『リーダーは日本史に学べ』の著者が、舞台を世界へ広げた『リーダーは世界史に学べ』。東京大学・羽田 正名誉教授の監修のもと、世界史に名を刻む35人の言葉から、現代のビジネスに必要な「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く術を解説する。
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心を動かしたマリア・テレジアの訴え
ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」
かつて、ヨーロッパ随一の名門として君臨した王家がありました。その名はハプスブルク家です。
ハプスブルク家は10世紀頃から歴史に登場し、中世ヨーロッパにおける権威の象徴であった「神聖ローマ皇帝」を輩出するようになります。また、各地の領主と婚姻関係を結ぶことで、オーストリアやスペイン、オランダなど広大な領土を支配してきました。
しかし、この名門ハプスブルク家に、18世紀に大きな転機が訪れます。それが、女性として王位を継承したマリア・テレジアの登場でした。ここからは、彼女が王位継承時、そしてその後にどのような危機に直面し、それをどう乗り越えたのかをご紹介します。
父が残した「継承への布石」
マリア・テレジアの父は、カール6世という人物でした。カール6世には男子の後継者がいなかったため、やむなく長女であるマリア・テレジアを後継者に指名します。とはいえ、ハプスブルク家には女性が帝位を継いだ前例がなく、ヨーロッパ諸国の反発は避けられない状況でした。
そこでカール6世は、「国事詔書(こくじしょうしょ)」という文書を発布し、娘の継承権を正当化します。さらに、フランス、イギリス、プロイセン(現在のドイツ北東部)など周辺諸国から同意を取り付けるという、周到な外交戦を展開しました。
しかし、その懸命な努力も、彼の死とともに打ち砕かれることになります。
約束の反故と国家存亡の危機
1740年、カール6世が亡くなるや否や、真っ先に動いたのがプロイセンの新王・フリードリヒ2世でした。彼はカール6世との約束を反故にし、ハプスブルク家の領土であり、工業地帯として豊かなシュレージエンへ電撃侵攻を仕掛けます。
さらに、フランス、スペイン、バイエルンなど多くの国々も彼女の継承を認めず、「オーストリア継承戦争」が勃発しました。マリア・テレジアの継承問題は、国家の崩壊すら覚悟しなければならないほどの危機へと発展していったのです。



