グローバルにCEO・CMO輩出企業として名を馳せるP&G。その経営中枢の一角を担うアジアのヘッドクォーターに11年勤務したマーケターの大倉佳晃さんが、メジャーリーガー級のリーダーやマーケターと数多く触れ合って辿り着いた1つの結論は、「優秀なビジネスリーダーは、マーケティングとファイナンスの両軸での思考ができる」ということだった。そのリーダーたちも重要視する経営指標「TSR(株主総利回り)」の概要のほか、具体的にTSRを向上させる7つのドライバーについて前回、前々回と紹介した。最終回の本稿では、昨今のバズワードでもあるSDGsやブランド・パーパスがTSR向上に貢献できるのか、解説する。

前回までは、TSR(Total Shareholder Returns:株主総利回り)の重要性、そして、マーケティングがTSR向上にどう貢献できるのか、を述べてきました。

最終回である今回は、昨今バズワードになっているSDGs(持続可能な開発目標)や、それに基づくブランド・パーパスが、果たして企業・ブランド価値の向上、つまりは、TSRの向上に貢献できるのか、について解説します。おそらく、SDGsやブランド・パーパスとTSRを同時に論じるケースは、少なくとも日本では例がなかったと思いますので、あくまで私の持論ということでお許しください。

結論から申し上げると、ブランド・パーパス・ドリブンな事業やマーケティング施策が、きちんとブランド・エクイティ(中長期的に消費者・ユーザーに知覚してほしい戦略的に選ばれたブランドの意味づけ)向上に寄与することで、消費者からブランドが選ばれる確率が上がる、もしくは、ブランドが抱えているビジネス上の問題点を解決できる場合にのみ、貢献できると言えるでしょう。

逆に、上辺だけのプランになっている場合、全く寄与しないでしょう。世の中のSDGs活動やブランド・パーパス・マーケティングは、そうなってしまっているケースもあるかもしれません。より具体的に解説していきましょう。

前回までで、TSRのドライバーは下記があることを述べました。

・利益の向上(事業戦略)
・マルチプル<EBITDA(利払前・税引前・減価償却前利益)、粗利率、SDGsなどエクイティストーリーの総合判断>の向上(投資家戦略)
・フリーキャッシュフローの向上(財務戦略)

今回は特に、事業戦略、投資家戦略の観点で述べていきます。

まずは、事業戦略の観点からです。

世界だけではなく、日本でも、世の中の消費者のSDGsに対する関心は高まり続ける一方です。

「60%の消費者が、企業に対して、SDGsにまつわる様々な問題に対して明確な立場を表明してほしい」
「60%の消費者が、ブランドの信念に基づいて購買をする」

といった統計もあるくらいです。

一方で、「SDGsウォッシュ」と言って、企業やブランドと本質的に関係のないトピックに乗っかることで炎上する事案が多かったり、記憶に新しいところでは、ESG(環境、社会、ガバナンス対応)優等生と言われていたダノンのCEOが経営不振で更迭されたりと、SDGsやパーパスを実際に企業・ブランド価値向上に貢献させることはなかなかハードルが高そうです。

SDGsやパーパスと価値向上を結びつける成否のポイント

それでは、成功と失敗を分ける要因は何でしょうか。いくつかのパターンがあると思っています。

元P&Gトップマーケターが語るマーケティング×ファイナンス思考「TSRを向上させるブランド・パーパス施策とは?」大倉佳晃(おおくら・よしあき)
OKURA BOOTCAMP代表 兼 ブランド・ビルダー
元P&G APAC Focus Market ヘアケア シニアディレクター・CMO。2008年P&Gジャパン入社。入社3年目からアジアヘッドクォーターのシンガポールに着任、グローバルSK-II、日本・韓国ファブリーズ、日本ヘアケアで業績V字回復や急成長を牽引。パンテーンでは、ブランドパーパスキャンペーン「#HairWeGo」を開発・成功させ、カンヌライオンズ含む世界中のブランド・広告賞も多数受賞。現在は、外資・内資、大企業・スタートアップまで幅広い会社の顧問・取締役・エンジェル投資をしながら、自社事業の準備中。

1. ブランドが抱えているビジネスチャレンジに紐づかない
SDGsやブランド・パーパスに限らず、すべてのビジネス活動に通じる話ですが、現在企業やブランドが抱えているチャレンジを解決できないものは、無駄打ちになることが多いです。

例えば、私が過去に携わった化粧品ブランド「SK-II」の「Change Destiny」や、ヘアケアブランド「パンテーン」の「HairWeGo」というブランド・パーパス・キャンペーンを例に考えてみます。いずれも、特に若年層において新規ユーザーが取れておらず、その理由は「古臭いブランドで、私のためのブランドとは思えない」ということでした。裏を返せば、Relevancy(共感性)に大きな機会があったために、これに沿って実施した施策をきっかけに、グローバルレベルでの大幅な業績向上や、不可能と言われていたV字回復を達成することができました。

ことパンテーンにおいては、就職活動や髪型校則、性の多様性などをテーマに据え、髪にまつわる日本社会における画一性に、「あなたらしい髪で前向きな一歩を踏み出そう」というブランド・パーパスを設定し様々な施策を行いました。実際に東京都における髪形校則の見直しのきっかけになるなど、ビジネス成果だけではなく、社会的にインパクトももたらしたことが評価され、世界中で多くのメディア露出や、カンヌ・ライオンズを含む世界中のブランド・広告賞を受賞することができました。いわゆる、SDGsで言うところの、D&I(Diversity & Inclusion: ダイバーシティ・アンド・インクルージョン)に関連するイシューに取り組んだ例になります。

ビジネスチャレンジに紐づけるうえで、ポイントは、HOW(具体的な施作)ではなく、WHO(誰に)、WHAT(何を)から始めることでしょう。自ブランドのターゲット消費者の抱えているジレンマは何か(WHO)、それに対して、どういうパーパスを設定し、どういう知覚を消費者の中で作り上げたいのか、そして、そのパーパスが詰まった商品を開発する(WHAT)。そういう過程があって、始めてそれを広告やSNSを通じてどう伝えるのか(HOW)、という手順で考えるべきなのです。

そうすることで、ブランドの行動全てに綺麗な1本串が通り、消費者の共感を生み、強固なブランド・エクイティを築くことができ、その結果、消費者から選ばれる確率が上がり、売上・利益が上がるということです。これが、そもそもブランド・パーパスを設定する意味なのです。

2. 機能的訴求から始めずに、情緒的訴求から始めてしまう
こちらも散見される失敗例です。

世の中に何となくバズらせたいがために、「エモい」マーケティング施策を打つ、という例です。ブランドを築き上げる上では、ステップがあります。最初にやらなければいけないことは、ブランドの基礎的価値である、機能的便益を知ってもらうことです。そもそも、ブランドが物理的に提供してくれるものが明確に浸透していない中で、情緒的な価値を伝えようとしても、消費者はなかなか振り向いてくれません。機能的便益を得ることで、こういう感情的便益を得られる、といった流れを作るべきでしょう。

例えば、サステイナブルなスニーカーとして有名なアメリカ発のD2Cブランド、allbirds。今でこそ、気候変動といったSDGs問題に取り組む信念のあるブランドとしてのイメージもあるかと思いますが、最初は、「とにかく快適な靴」という機能的便益を打ち出していた記憶があります。

最後に、投資家戦略=マルチプルの向上という観点から見てみましょう。

前回も述べた通り、現状として、SDGsは投資家目線ではネガティブ・スクリーニングとして使われていることが多いと思います。SDGs上問題がある場合に、投資のテーブルに載らない、ということです。最終的には、SDGsのストーリーがきちんとビジネス数値に返ってくる、ということがやはり求められています。

例えば、テスラ。「地球から排気ガスを減らす」という明確なストーリーがありつつ、投資家に評価されあれだけ株価が上がっているのは、そのストーリーがきちんとエンドユーザーに伝わり、買いたいと思える商品を作れているからです。

全4回で色々と語ってきました。途中、かなりファイナンス寄りの小難しい話も多かったかと思います。「ファイナンス視点で戦略的にマーケティングを考える」ことで、結果を出せる確率はグンと上がるとは思いますが、やはり、マーケターの端くれとして最後に強調したいことは、「一人の消費者に感動を届けられるか」、がすべての分水嶺だと思っています。小難しい話の前に、そもそもこの点がクリアできているかがビジネスの要諦である、と考えています。