グローバルレベルでCEO・CMO輩出企業として名を馳せるP&G。その経営中枢の一角を担うアジアのヘッドクォーターに11年勤務したマーケターの大倉佳晃さんが、メジャーリーガー級のリーダーやマーケターと数多く触れ合って辿り着いた1つの結論は、「優秀なビジネスリーダーは、マーケティングとファイナンスの両軸での思考ができる」ということだった。そのポイントの一つになるのが、P&Gで重要視される経営指標「TSR(株主総利回り)」の改善を実現できることだ。TSRの概要をお伝えした前回に続き、今回は、具体的にTSRを向上させる7つのドライバーについて解説する。
前回は、(特に上場株における)投資家が最重要視する指標としてTSR(Total Shareholder Returns:株主総利回り)という概念を紹介しました。
また、TSRのドライバーとして、大きく次の3つがあることを説明しました。これらは、「事業戦略」「投資家戦略」「財務戦略」に該当すると考えています。
・利益の向上(事業戦略)
・マルチプル(EBITDA、粗利率、SDGsなどエクイティ・ストーリーの総合判断)の向上(投資家戦略)
・フリーキャッシュフローの向上(財務戦略)
そして、これらの要素に、マーケティングは大きく貢献できます。
ここから、ようやく私の専門であるマーケティングのお話ができます。
事業戦略として利益向上のためにできること
利益を向上させるためには、何が必要でしょうか。
それは、1)売上成長と2)利益率向上です。マーケティングに従事する人の中では、売上高や市場シェアばかりを気にかけている人があまりに多い気がしますが、Profitable Sales Growth(利益を伴った売上高向上)を達成することこそが、TSR向上にも貢献するのです。
下記では、マーケティング観点からTSRを伸ばすための7つのドライバー(①~⑦)を紹介します。
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<売上成長のドライバー>
それでは、まず具体的に売上成長のドライバーを見ていきましょう。
OKURA BOOTCAMP代表
元P&G APAC Focus Market シニア・ブランド・ディレクター。2008年P&Gジャパン入社。入社3年目からアジアヘッドクォーターのシンガポールに着任、グローバルSK-II、日本・韓国ファブリーズ、日本ヘアケアで業績V字回復や急成長を牽引。パンテーンでは、ブランドパーパスキャンペーン「#HairWeGo」を開発・成功させ、カンヌライオンズ含む世界中のブランド・広告賞も多数受賞。
「売上高」=①購買人数 × ②購買頻度 × ③購入点数・量 × ④購買単価
マーケティングの醍醐味は売上高を伸ばすことですし、売上高が伸びれば利益も同時に伸びることが多いです。自社ブランドの置かれた状況によって、どのドライバーを主に伸ばすべきか、を考えてビジネス・マーケティングプランを作っていくのです。もちろんすべてのドライバーを伸ばせるに越したことはないのですが、基本的に投資予算も人的なリソースも限りがあるので、どこに集中すれば大きなビジネスインパクトにつながるのかという見極めも大事です。
具体的な例で見てみましょう。
私が過去に日本・韓国担当のブランド・マネージャーであった「ファブリーズ」という消臭剤ブランドを例として取り上げます。
① 購買人数:
布用消臭剤というモノ自体は、ここ30年くらいで生まれた比較的まだ新しいカテゴリーで、かつ洗濯用洗剤やシャンプーと違って究極的には日常に無くても困らない商品カテゴリーなので、まだ世帯浸透率(1年以内に一度でもそのブランドあるいはカテゴリーを購入したことのある人の割合)が30%前後しかありません。ちなみに、洗濯用洗剤やシャンプーなどの必需品は、世帯浸透率が当然ですがほぼ100%に近く、それらと比べて浸透率はまだ低いと言えます。
そのため、新しい消費者インサイトをもとに「まだ購入したことがない人が、布用消臭剤そのものを購入すべき理由」を作り出すことで、新規ユーザーを獲得し購買人数を増やす必要があります。例えば、今までカーテンにしか使えないと思っていた人に対して、「靴にも使えるよ!」とブランドがコミュニケーションすることで、靴のニオイや菌が気になっていた人が新しく取り囲めることができ、世帯浸透率を上げられる可能性があります。
② 購買頻度:
布用消臭剤は究極的には日常に無くても困らないものなので、一度買っても、使用の習慣化がなかなかされないため、習慣化させるためのアプローチを行うことで購買頻度を上げます。人々にまったく新しい習慣を定着させるのは非常に難しいので、そうするためには、既存の習慣に結びつけることが常に一つの上策です。お掃除などの既存の習慣の最後の仕上げにファブリーズもシュッシュしてね、といったコミュニケーションを展開する、といった施策が考えられます。
③ 購買点数・量:
このドライバーは、いわゆるECやオフライン店頭でのショッパーマーケティングが特に大切です。例えば、詰め替え用の特大パックなどで1回のお買い物あたりの購買量を上げる。また、お店の中の複数箇所で商品を展開することで、ついで買いを促進し、購買点数を上げる。例えば、ドラッグストアの入り口付近は、だいたい季節もの商材がディスプレイされていると思います。そこに、当該ブランドが乗っかれるテーマを見つけて一緒に置いてもらう、といった施策が考えられます。「年度末の大掃除にファブリーズも」といったものがわかりやすいでしょう。
④ 購買単価:
男性が気にする特有のニオイ問題に(汗臭・タバコ臭など)通常のファブリーズより消臭効果が高い「男性用ファブリーズ」といった、高付加価値の新商品を市場平均価格より高い値段で出すことで市場を拡大します。
イメージがしやすいように、上記はかなり簡素化して説明しました。
どのドライバーも大切ですが、中長期的に売上高と利益を伸ばし続けるために最も大切なのは「購買人数」、つまり「新規ユーザー数をいかに高められるか」、次に大事なのが「購買単価」を上げることです。詳細は省きますが、様々な業界をまたがるメタ分析で証明されています。想像いただきやすいと思いますが、ユーザーは毎年必ず一定数が離脱しますので、新規ユーザーを取り続けないと先細りしてしまいます。そして、購買単価を上げられるということは、それほど強いブランド力があり中長期的な差別化要因になります。
特に、新規ユーザー数は最も注意が必要です。ときに、新規ユーザー数は減ったが一時的に売上高と利益は上昇する、といったことがあります。なぜなら、1人当たりの購買点数や量、単価が上がれば、売上高と利益をある程度補填できるからです。しかし、経験上これは危険サインで、1~2年すると必ず売上高と利益が下がり始めます。新規ユーザーが減ると、既存顧客も毎年ある程度はチャーンする(減っていく)ので、ダブルパンチでユーザーベースが少なくなり、購買点数・量・単価のドライバーでは補填が効かなくなってくるからです。
新規ユーザーを獲得することは簡単ではありません。しかし同時に、ここがマーケターの腕の見せどころでもあります。本稿では、詳細なマーケティングのテクニックを伝えることを主眼にしていないので割愛しますが、1つポイントを述べると、「自社ブランドや自社カテゴリーをまだ使っていない消費者セグメントを見つけ出し、そのセグメントに刺さる新しい便益や、使用方法、体験を提供することで今までそのカテゴリーに振向かなかった消費者を振り向かせる」といった方策が挙げられます。
例えば、私が過去にグローバルのブランド・マネージャーとして担当した化粧品ブランドの「SK-II」。当時、ブランドイメージが明らかに古くなってしまっており、可処分所得が高く消費意欲が旺盛な若年層(特に中国では、このセグメントは驚くほど大きなビジネスサイズがあります)にまったくアピールできていませんでした。このためブランドのキャンペーンを刷新することで、大幅に新規ユーザーを増やすことができました。
<利益率向上のドライバー>
さて、では続いて利益率向上についてはどうでしょうか。
経験上、ポイントさえ掴んでおけば利益率は合理的に改善できるので、私自身が新しい事業課題にあたる時は、まずは利益の確保をどうできるか、という視点から着手していきます。
「利益率向上」
=売上向上 ×⑤事業ポートフォリオの整理(CORE + MORE戦略)×⑥原価を下げる ×⑦効率の良いお金の使い方
⑤事業ポートフォリオの整理(CORE + MORE戦略):
COREの定義は、売上と利益の多くを占め、粗利益率が高く、会社やブランドのエクイティを体現しており、消費者がしっかりと効果を実感できる(=リピート率が高い)ブランドや商品になります。世に言う、定番、基幹ブランド・商品が当てはまることが多いです。わかりやすい例は、バーバリーのトレンチコートや、マクドナルドのビッグマックでしょうか。
MOREの定義は、カテゴリーや消費者の中で起きているトレンドに当てるブランド・商品のことです。現時点ではビジネスサイズは大きくないが、将来大きくなる可能性があるために今のうちに先行投資をしておく、または、この領域で伸びている競合を抑え込む、といった意味合いでの役割になることが多いです。
このCORE + MOREの考え方は、複数ブランドを持っている場合のカテゴリー戦略、または、単一ブランドのマネジメントの場合でも適用できる考え方です。よく散見されるミスが、基幹ブランド、もしくは、基幹商品を売ることをおざなりにして、新商品ばかり投入し続けること。また、そもそも利益構造が成り立っていない商品にマーケティング・リソースを割いて売上高を伸ばすことです。前者の場合は単純な話で、看板ブランドや看板商品はそもそも売上が大きいこともあり、ここが落ちてしまうと、いくら新商品を投入してもその看板商品で落ちた売上高を補うことが難しいです。また、後者の場合は、売上高は伸びても利益が伸びません。
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COREとMOREをきちんと戦略的に定義して、特にMOREにおいては捨てる勇気も持つこと。その上で、まずは、COREであるブランドの代名詞となっているようなブランドや商品にリソースを割き売ること。MOREに該当する新商品の場合は、既存品よりもなるべく良い利益構造になっているものを作る、既存品とカニバらないようにきちんと意味のある違いがある商品を作る、などといった打ち手があります。このように事業ポートフォリオを整理することは、マーケティング戦略に必須のステップになります。また、特に経営層の意思決定にも重要になるので、参考にしてみてください。
⑥原価を下げる:
日々の小さな積み重ねがモノを言う施策です。
例えば、パッケージには本当に原価が高い光沢のある素材を使う必要があるのか。4色印刷が必要なのか、3色ではダメなのか、商品に含まれる成分はすべて消費者を満足させるために必要で削減余地はないのか、などです。生産管理やR&Dとの協働が必須になります。
⑦効率の良いお金の使い方:
一番無駄が潜んでいる項目です。私の経験上、必ずどこかに無駄があります。無駄とは、投資に対するリターンが悪いものを指します。大きな要素としてあるのは、研究開発費用、マーケティング費用、人件費、があります。特にマーケティング費用においては、広告費、広告制作費、商品値引き費用、を見るべきでしょう。
例えば、利益率の悪い商品に広告などを大量に投下していないか、マーケティング予算をテレビCM一辺倒にしていないか(テレビCMは、ある一定ラインを超えると非常に投資効果が悪くなります)、何か広告物を作るときに必要以上に製作費にお金をかけていないか、などなどです。
さらにもう1つ付け加えるならば、ゼロベースの予算プランニングをすることです。往々にしてあることが、売上も予算も昨対ベースで見ることで、隠れた無駄を見つけられないことです。そもそも、昨年の予算に無駄があった場合、そこに昨対ベースで+5%などと予算組みされていたらどうするのでしょうか。骨は折れますが、必ず、ビジネス目標を達成するために必要な予算の積み上げ方式、という方法をとると、かなり無駄を見つけられるはずです。
投資家戦略としてマルチプル向上のためにできること
先に述べた事業戦略の中で、利益を伸ばすことがマーケティング分野でまず求められる施策であると述べました。そして、その結果、マルチプル上昇にも貢献できます。
加えて、これからは企業やブランドが描く魅力的な将来性(エクイティ・ストーリー)の一環として、SDGsの要素が大きく貢献する時代が来るのもそう遠くないかもしれません。
現時点では、SDGs的発想は、投資家目線で言うと、ネガティブ・スクリーニング(特定の社会的・環境的基準を満たさないとして排除されること)として使われることのほうが多いと思います。例えば、途上国で過酷な労働環境、低賃金で働かせて商品を生産させていたブランドの買収を見送る、といった事象は実際に起こっています。そして、これからは、企業やブランドの理念に合致したSDGs活動の長期宣言を行いつつも、そのコミットに対して実際に行動し、しかも、それがビジネスの売上や利益に数字になって還元されると、より投資家から評価され企業価値が上がるはずです。後者に関しては、私の経験に基づく具体例を使いながらより具体的にお話しします。
財務戦略としてフリーキャッシュフロー向上のためにできること
財務戦略とマーケティングも直感的にはやや乖離がややあるかもしれません。しかし、フリーキャッシュフロー向上のためにマーケティングができることはあります。
フリーキャッシュフローを増やすための一つの有効な手段は、資産の効率性を向上することです。特にB2Cで在庫を持つビジネスを行っている場合、在庫や工場といった会社の資産をどうコントロールするかが、フリーキャッシュフローを向上させることに直結します。
そのために、意外とマーケティングが貢献できることもあります。例えば、
・ターンオーバー(販売スピード)が遅いと、それだけ在庫としての期間が長くなるということなので、なるべくターンオーバーが早い商品を作る
・在庫が予定通り減るようにするためには、精緻な需要予測が非常に重要なので、既存・新商品ともに、需要予測の元になるマーケティング・インプットを精緻にする(例えば、購買意向、テレビCM・デジタルマーケティングなどの投下費用、店頭マーケティングによって増減する店頭での露出量、など)
・なるべく工場のライン投資がかからないように(工場の建設やラインを増やすといった投資は、キャッシュに多大な影響)、新商品を作るのではなく既存の定番商品に新しいアイデアで付加価値をつけて売る。コマーシャル・イノベーションと言いますが、新商品なしで売上を伸ばすことができるマーケターこそ一流だと思います。
など、できることはたくさんあります。
ここまでの論点をまとめてみましょう。
A.「利益」と「フリーキャッシュフロー」を伸ばす(事業戦略・財務戦略)
- 売上向上
- 利益率向上
- アセットの効率性向上
×
B.マルチプルを上げる(投資家戦略)
- マーケティングによって売上・利益・キャッシュフローを増やすことに加え、「業績向上に繋がるSDGs活動」のストーリー作り
前回述べた通り、TSRという考え方は基本的に上場企業のためのものですが、TSRを伸ばすドライバーという考え方は、スタートアップでも未上場企業でも、使える部分があるかもしれません。
次回はいよいよ最終回です。今流行りのSDGsや、ブランド・パーパスが、TSR向上に役立つのか、という話をしていきます。