8月、われわれ取材班は注目の人物を訪ねた。去年6月に嘘の証明書を作成した罪で逮捕され、1年3ヵ月にわたり、一貫して無実を訴えてきた厚生労働省の村木厚子元局長だ。3時間に及ぶインタビューの中で村木元局長は、取り調べを受けた際の心境をこう語った。

「一番怖かったのは上手に罠にはめられるということがあるのではないか、という恐怖感でした。捜査ができるのは検察だけなのに、その人たちが私がやったと信じ込んでいるとしたら、真実を探し出してくれる人がいなくなってしまう…」

浮かび上がったずさんな裏付け捜査。<br />特捜部が完全敗北「村木元局長裁判」を検証する9月10日、無罪判決が言い渡された厚生労働省の村木厚子元局長。これまで1年3ヵ月にわたり、一貫して無実を訴えてきた。

  9月10日に無罪判決が言い渡された、村木元局長裁判。捜査を進めてきたのは、大阪地検特捜部だった。特捜部は、関係者の捜査段階での供述を根拠に、村木元局長の関与を立証しようとしたが、完全な“敗北”となった。特捜部に一体なにが起きていたのか…。

調書は全部でっちあげ?
証人が次々と証言を覆す異例の事態

 裁判が始まったのは今年1月だった。われわれがまず注目したのは第3回公判。捜査段階で「村木元局長から証明書を直接受け取った」と供述した「凛の会」倉沢邦夫元会長の証人尋問だった。倉沢元会長は法廷で、

「証明書は村木さんのデスク越しに頂きました。村木さんは立ち上がって両手で渡してくれました」

 と具体的に証言。ところが弁護側は「不自然だ」と指摘した。事件のあった6年前、村木元局長のデスク前には衝立やキャビネットがあり、証明書をデスク越しに受け渡すなど、物理的に困難だと弁護側は主張したのだ。

 第8回公判には、嘘の証明書を作成したとされる上村勉元係長が証人として現れた。捜査段階では、「嘘の証明書を作ったのは村木元局長の指示だった」という供述調書にサインした人物だ。しかし法廷ではこう証言した。

「調書は全部でっちあげです。村木さんの指示はありませんでした。取り調べで聞き入れてもらえませんでした」

 さらに、法廷に立った他の厚生労働省の関係者も次々と「調書の内容は事実でない」と証言し、供述を覆すという異例の事態になっていった。

 一方、検察幹部は

「彼らは法廷で嘘をついた。厚生労働省が組織防衛に走ったということだ」

 と指摘。供述調書の信頼は揺るがない、と自信を示していた。

 そうした中、第11回公判で石井一参議院議員の証人尋問が行われた。石井議員は、検察が描く事件の構図で、

「平成16年2月25日に、凛の会の倉沢元会長と議員会館で会い、厚生労働省への口添えを頼まれた」

 とされる。しかし、法廷で弁護側が示したのは石井議員の手帳。問題の日の欄には、千葉県成田市のゴルフ場の名前や、プレーの時間等が書かれていた。石井議員は「この日はゴルフをしていた」と主張。検察の構図に根底から疑問を投げかけた。