ツキノワグマ写真はイメージです Photo:PIXTA

クマの出没に対し“どのように共存すべきか”という言葉がよく聞かれる。しかし、自然写真家の永幡嘉之は「野生動物を相手に共存はありえない」という。人間が森林を開発すれば、野生動物のすみかは当然破壊される。太陽光発電のように、木を伐ったうえに重機で造成してしまえば、もうその土地は元に戻らない。未来の自然環境のために今、何をすべきか考えていこう。※本稿は、永幡嘉之『クマはなぜ人里に出てきたのか』(旬報社)の一部を抜粋・編集したものです。

人と野生動物の
「共存」はありえない

 ツキノワグマの出没に関する問題を考えるうえでは、「どのように共存すべきか」という言葉がよく出てきます。

 本当にクマの事故をゼロにして、農産物への被害もゼロにすることだけを考えるならば、あくまでたとえ話ですが、ツキノワグマを獲り尽つくして滅ぼせば、目的は達成されます。

 実際に日本では、かつて、家畜に被害を与え続けていたニホンオオカミが絶滅した前例があります。これによって、大切な家畜がオオカミに襲われる被害はなくなりました。

 しかし、さすがに絶滅させてしまえば生態系の歯車が回らなくなるため、種の絶滅を防ぎ、生物の多様性は維持しなければならないという考えが、近年では社会に定着しています。

 それぞれの動植物は生態系の歯車にたとえることができ、歯車がひとつ欠ければ、関係している他の歯車が回りにくくなって、ひいては全体も回らなくなるという考え方にもとづくもので、ツキノワグマのような大型哺乳類は生態系上位種と呼ばれ、全体の歯車が回っていることの指標にされます。

 ところで、生態系とはずっと複雑なもので、影響は間接的に表れるうえに、変化が起こるまでには時差もあります。

 オオカミが絶滅した明治時代には、目に見えるような変化は起こりませんでした。100年以上経ってから、シカが急増したことが各地で問題になっていますが、すでにオオカミの絶滅と因果関係があったのかどうかも分かりません。

 予測が難しく、「これ以上の開発は控えるべき」という線引きも難しいからこそ、実際にはこれ以上の生態系の改変は避けるべきという予防原則での対応が基本になります。

 野生動物を相手に「共存」はありません。人間が森林や草原を開発すれば、野生動物のすみかは破壊されますし、人が減った場所には動物が進出します。

 人と動物の関係は、そうしたせめぎあいの結果にすぎないのですが、共存という言葉はそうした現実を、あたかも両立しているかのように美化しています。

 ツキノワグマへの対応は、特効薬のない病との向き合い方にも似ています。共存という言葉にすり替えるのではなく、その都度、問題と向き合い続けるほかないという本質を忘れてはならないでしょう。考えることは、そこから始まります。