今、メディアで話題の「マレーシア大富豪」、小西史彦氏をご存じだろうか。小西氏は24歳のときに無一文で日本を飛び出し、一代で上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPでもある。その小西氏がこれまでの人生・ビジネスで培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。そこで今回、小西氏と親交があり、自身も戦後、焼野原で露天商から身を起こしビジネスの第一線を生き抜いて日本を代表する企業のトップとなった鈴木喬・エステー会長を迎え、「持たざる者がビジネスで成功する秘訣」について語り合ってもらった。

『マレーシア大富豪の教え』著者の小西史彦・テクスケム・リソーセズ会長(左)と鈴木喬・エステー代表執行役会長CEO

“持たざる者”の闘い方

鈴木 ご著書、拝読しました。この本は、面白いですな。海外雄飛を夢見ていた1人の日本人青年がマレーシアに魅入られ、辛酸をなめながらも、今やマレーシアでは知らぬ人のいない国民的企業を築きあげる。多大な貢献により国王からは民間人としては最高位の貴族の称号「タンスリ」が授与される。一大立身出世物語であり、本当のベンチャーの物語ですよ。

小西 鈴木会長は、「褒め殺しの達人」ですから(笑)。

鈴木 いやいや、小西さんのように海外で無一文かつ裸一貫で成功するのは途方もないことですよ。今、誰もが「ベンチャー、ベンチャー」と言うけれど、国内でやっているわけでしょ。海外でもせいぜいシリコンバレーだ。でも小西さんは、そんな甘っちょろい世界ではない。

小西 ありがとうございます。

鈴木 僕は、小西さんは「冒険ダン吉」だと思っているの。これ言うと、歳が分かるんだけどさ(笑)。南洋にたどり着いたダン吉が、現地の人と仕事を創ったり世の中に必要な設備を造っていく大人気漫画の主人公だ。

小西 とはいえ鈴木会長も大変に苦労なさって現在のエステーの繁栄を築かれた。お兄様が創業なさった会社を継いだとはいえ、それはそれで兄弟や古株の番頭さんとの格闘などご苦労は多かったと思います。

小西史彦 テクスケム・リソーセズ会長
1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへ移住を決意。1年間のマラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。1973年、マレーシアのペナン島でたった一人で商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、1993年にマレーシア証券取引所に上場。製造業や商社、飲食業など約50社を傘下に置く国民的企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ「を授与。現在はテクスケム・リソーセズ会長に。著書に『マレーシア大富豪の教え』(ダイヤモンド社)。

鈴木 兄から「会社を手伝え」と言われて日本生命を辞めてエステーに入ったのが1985年で、バブルの真っ最中でしたな。すぐに社長にしてくれるのかと思ったらヒラ部長で、いろいろな改革を出して軋轢が多かった。結局、社長にしてくれたのは98年。それまでずっと“日干し”にされていましてね。兄弟カンパニーというのはなかなか難しいですわ(笑)。

群れを離れて勝てる場所を探せ

小西 まぁ、兄弟だから遠慮もないでしょうしね。でもエステーの創業者であるお兄様(鈴木誠一)が私の大学(東京薬科大学)の先輩でもあり、私はお兄様から薫陶を受けたのですけれども、鈴木会長はきちんとお兄様の教えを受け継がれ、かつ自分の考えを加味されて「鈴木喬流」という流派をつくられた。この2つの合体は強力ですよ。

鈴木 そんな風に見えますか。

小西 まず「鈴木喬流」の一番強烈なのは創意工夫への執念です。製品は全部自分で創るし、新商品にはトップの思い入れを強く込められる。つまり発明家でもあるんですよね。その前提として好奇心も猛烈に強い。

鈴木 前例のないことをやろうとすれば必ず反対が出るし、反対するのは人の心情でもあるけれど、それでは何も生まれないのも事実ですな。前例のないところにこそ、チャンスがある。