だからといって患者数は減らず、増え続ける医療訴訟の対策として「医療安全」「感染対策」などの書類や会議は増える一方だった。

 しわ寄せは、残った中堅医師に過重労働としてのしかかった。「大学病院で滅私奉公しても、かつてのように報われる保証はない」「一生このまま薄給激務でいいのか」と彼らは思い始めた。

 ブラック労働に疲れ果てた中堅医師が医局を去っていった。

 産婦人科や小児科のように、女医率が高い割に夜間救急の多い科は、崩壊が速かった。患者を受け持たずアウトソーシングがしやすい麻酔科も、崩壊が速かった。

「教授以外が全員辞職(三重大学)」など大学病院における麻酔科医集団辞職の事例が相次いだ。2007年には国立循環器病研究センター(当時、国立循環器病センター)、2008年には国立がん研究センター中央病院といった都市部のブランド病院においても医者の集団辞職が報道されるようになった。

退職公表後すぐ2ヵ月先まで仕事
フリーランスとして独立する覚悟

 平成初期、とある地方の国立医大を卒業した私は、当時の常識にのっとって母校の付属病院に研修医として就職した。

 初任給は月14万円。「新人医師は、1日16時間×年350日ぐらい働くもの」とされていた。卒業後6ヵ月目からは、外部の救急指定病院に単独で当直のアルバイトに出て、生活費の足しにした。辛いことも多かったものの、少しずつだが収入や待遇は改善し、また激務の中で成長している実感も得られた。

 そして、すごろくのコマを進めるように、「研修医→専門医→博士号→米国留学→大学講師」までたどり着いたところで、前述の新研修医制度を契機にした医療崩壊が始まった。