本当は雑誌協会に入って記者証を発行してもらえば楽なんですが、私の場合は編集部に依頼されてから取材を始めるのではなく、とりあえずフリーの立場で取材して、どこの記事に使うかは後で判断するわけです。仮に「文藝春秋」のスタッフの立場だけで取材を申し込むと、『ダイヤモンド・オンライン』でそのネタを使えなくなっちゃいますから。

―記者クラブが権力へのアクセス権を独占しているのが問題であると指摘しています。

 日本は会社単位で取材の可否が決まってしまう。非常にいびつな権力へのアクセス権の担保の仕方だと思いますね。日本以外の世界中では、政治家など公権力側が、会うべきメディアを決める。そうすれば取材者がアクセス権を封じ込められても、記事の中で、取材を拒否された事実を書くことができる。しかし日本の場合は、政治家本人が会っても構わないと言ってるのに、記者クラブに横槍を入れられると面会ができない。これでは、記事に何も書きようがないわけです。

上杉隆 日本以外のほぼすべての国には、日本のような記者クラブが存在せず、権力自身がアクセスの決定権を握っています。日本も、記者クラブが独占するその権利をオープンにすれば、競争が生じ、長い目でみればメディア全体が活性化し、権力監視の機能も強化されます。それがメディア不信からの脱却にもつながります。

 記者クラブに縛られている記者自身も解放されて、もっといい記事が書けるようになるはずです。私はいろんな国の記者と接してきましたが、日本の記者はその中でも比較的優秀な人が多い。基礎学力が高く、真面目な国民性ゆえに仕事が丁寧。彼らがもっと自由に書けるのならば、世界トップクラスのジャーナリストになると思います。しかしシステムが、彼らの能力をつぶしているんです。

―大新聞の特権意識の一つの象徴として、「一部週刊誌によると」という表現があります。引用した雑誌名も記さずスクープ記事の後追いをする。新聞社のつまらないメンツを感じます。

 新聞やテレビは自分たちの記事引用に関する権利にはうるさい割に、自らは雑誌から平気で盗用している。もう一つひどいのが「わかった」という報じ方です。最初にスクープした他媒体に敬意を表して出所を明記するのは海外では当たり前のことですが、たとえば朝日新聞が「昨日の読売新聞のスクープによると~」などと書いたことは、ここ100年間で1度もないと思います。

 2006年、日経新聞が朝刊1面で報じた「富田メモ」のスクープ(昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示していたという報道)でも、その日の夕刊で全紙が「~がわかった」と、さも自分たちが独自に見つけた情報のように書く。これはおかしいじゃないかと新聞社の人に言ったところ、「日経が記事を出した後に我々も取材したから良いんだ」と言われ、呆れました。