『将軍さま』は嘘ではないが正しくもない
北朝鮮による拉致問題が国民的な関心事となった2004年頃、朝鮮(韓国)語の翻訳を仕事にしていた韓国生まれの友人から、「最近は仕事がやりづらくなった」との話を聞いたことがある。
「つい数日前も、北朝鮮で隠し撮りしてきた一般国民のインタビューを翻訳したとき、局のプロデューサーから『将軍さま』を『我が党と我が人民の偉大なる指導者さま』に修正しろと指示されたよ」
つまり強調だ。いや、正しくは誇張というべきかもしれない。うなずく僕に、彼はさらに言った。
「そもそも北朝鮮の一般国民は、金正日を何と呼んでいるか知っているか?」
「今、自分で説明したばかりじゃないか」
そう言いながら僕は、「将軍さま」と答えた。あるいは指導者さま。日本国民なら誰だってそう答えるはずだ。「やっぱりそう思うよなあ」とつぶやいてから、彼はしばらく沈黙した。
「……実際には将軍さまと呼んでいないのか」
僕は訊いた。彼は首を横に振る。
「いや、実際に彼らは金正日を、『チャングン・ニム』と呼んでいる。訳せば『将軍さま』だ」
そう言いながら彼は、やっぱり浮かない表情だ。何が問題なのだろう。小さく吐息をついてから、彼は静かにつぶやいた。
「でもそもそも北朝鮮や韓国では、目上の人の呼称や肩書に『ニム』を付けることは、当たり前の習慣なんだよね」
「当たり前?」
「つまり将軍さまだけじゃないんだよ」